2021年9月19日日曜日

天地金乃神様と同行二人であり二人三脚 (2021-09-19)

 今日も和賀心学 (2021-09-19)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


心中祈念の時今朝は、林という漢字を頂いた。心に、木(気)が2つ、同行二人、二人三脚と言うような事を思わせて頂いた。勿論天地金乃神様と同行二人であり二人三脚と言う事になる。先ずは神様に、この氏子と二人三脚で御用をして行こうと思し召して頂けるような私どもにならなければならないと言うこと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 361頁)


        ビデオ: https://youtu.be/KYa2Y5I69iw

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合掌

中原博信

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御理解第56




日にちさえたてば世間が広うなってゆく

ひそかにして信心はせよ




世間が広うなって行く

と同時に自分の心を寛く大きくして行く事である




ひそかに信心の喜びをじっとおさえて

心の奥に喜びの泉をつくることである




いたずらに ただ日にちが経って忘れていくだけでは

勿体ないことである




ひとりわが道をゆく




ミニ御理解に

ひとり我が道を行くと有ります




この師匠が仰られた

ひとり我が道を行くと言うのは




いわゆる人間関係と言うのでしょうか

人間対人間の話だと思いますね




信心は連れが要ろうがとか 連れは要らぬとか

両方から説かれるところが有りますね




その勢信心をせよと言われたり

信心に連れが要れば 死ぬるにも連れが要ろうがと




ひとり信心をせよと そう言う人間を相手にした上での

ひとり我が道を行く と言う事だと思いますね




また神様をそこに思うと言うのでしょうかね

と言う事においては また少し話が違って来ると思いますね




今朝は心中祈念の時に

林と言う字を 漢字ですね を頂きました




あの 木を 2つ書いた林ですね

それで直ぐ思わせて頂いたのは




言わば 木が 2つある訳ですから

その何と言いましょうかねぇ




よく同行二人と言われますね

また神吾と共にあり 吾神と共にあり




と言った様な事も言われますが

神様と二人連れと言う事ですね




そのひとり我が道を行く

それはその一人は他の人間と言う事でしょうけれども




神様 と思うた時には それはやはり林の字でなければならない

と言うのでしょうかね そう言うものだと言う事ですね




何をするにも何をなすにも 神様と二人連れ

と言う信心が出来て来なければならないと言う事だとも思いますね




私どもが一人で何かをすると言って

出来るものではありませんねぇ




神様のお役に立ちたい

神様が またこの氏子を御用に使いたいと思われても




神様だけで出来るものではありませんし




私どもが如何にお役に立ちたいと思うても

私どもだけでお役に立つ事は出来ない




それこそ あいよかけよとも表現されますけれども

それは大変深い意味が有ると思いますが




浅い意味においても 神様と私どもが

それこそ同行二人的な二人三脚的な生き方であって初めて




本当の神様のお役に立つ事が出来る

御用が出来ると言う事になるのではないでしょうかね




神様のおかげを頂かなければ

とても御用は 出来るものではありませんね




また神様もまた

神様お一人では その現しようが無い訳ですから




神様の手となり 足となり 口となり 耳となる

そういう人間と言うのでしょうかね を必要とされる訳ですからね




人の寿命と言うもの よく最近は癌の話を聞いたり

寿命の あと何ヶ月だと言った




そう言う宣告を受ける

と言った様な事を耳に致しますけれども




師匠が お役に立ちたいから命を下さい と願うのではなく

命有る限りお役に立たせて下さいと願え と教えて下さいました




命有る限り神様と共に御用をさせて頂く

と言う事だと思いますねぇ




私一人で出来る訳ではない




神様がそれこそ この氏子をもう少し使いたい

この氏子と共にも少し御用をしたい




と思し召されたならば

それこそまだいつまでか




それこそ神様が この氏子とまだ御用をしたいと

思われる間だけは命を下さるのではないでしょうかね




私どもが御用をさせて頂く 神様のお役に立ちたいと言う一念を燃やす

そしてまたそこに 神様がこの氏子と一緒に歩いて行こうと思われる




神様が そう一緒に歩いて行こうと思って下される様な

私どもでなければならないと言う事でもありますけれどもね




私どもが如何に二人三脚で行きましょうと

行かせて下さいと神様に申しても




神様の方から いやもういい あなたとはもう一緒に歩きたくない

と言われたら もうそれまでですからね




やはり私どもが 神様の目にご覧になって

魅力有る私どもでなければならない と言う事でもありましょうね




神様から一緒に歩いて行こうと

神様の方から 同行二人で御用をして行こうと




そう言われる様な そう思って下さる様な

私どもにならなければならないと言う事でもありますね




為には 先ず第一に 私どもが逃げ腰では

神様も一緒に歩こうとはされませんからね




私どもが先ずは お役に立ちたい

それこそ命有る限り神様の御用に立たせて下さい




と言う一念が有って初め




神様も それなら一緒に歩こうと言って下さる

思うて下さるのではないでしょうかね




いずれにしろ神様と共に御用をさせて頂く

神様のおかげで御用をさせて頂く




そう言う命有る限り御用をさせて頂きたい と言う願いを

その一念を私どもの中に燃やし続けねばならない




と言う事ではないでしょうかね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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