今日も和賀心学 (2021-09-19)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
心中祈念の時今朝は、林という漢字を頂いた。心に、木(気)が2つ、同行二人、二人三脚と言うような事を思わせて頂いた。勿論天地金乃神様と同行二人であり二人三脚と言う事になる。先ずは神様に、この氏子と二人三脚で御用をして行こうと思し召して頂けるような私どもにならなければならないと言うこと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 361頁)
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合掌
中原博信
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御理解第56節
日にちさえたてば世間が広うなってゆく
ひそかにして信心はせよ
世間が広うなって行く
と同時に自分の心を寛く大きくして行く事である
ひそかに信心の喜びをじっとおさえて
心の奥に喜びの泉をつくることである
いたずらに ただ日にちが経って忘れていくだけでは
勿体ないことである
ひとりわが道をゆく
ミニ御理解に
ひとり我が道を行くと有ります
この師匠が仰られた
ひとり我が道を行くと言うのは
いわゆる人間関係と言うのでしょうか
人間対人間の話だと思いますね
信心は連れが要ろうがとか 連れは要らぬとか
両方から説かれるところが有りますね
その勢信心をせよと言われたり
信心に連れが要れば 死ぬるにも連れが要ろうがと
ひとり信心をせよと そう言う人間を相手にした上での
ひとり我が道を行く と言う事だと思いますね
また神様をそこに思うと言うのでしょうかね
と言う事においては また少し話が違って来ると思いますね
今朝は心中祈念の時に
林と言う字を 漢字ですね を頂きました
あの 木を 2つ書いた林ですね
それで直ぐ思わせて頂いたのは
言わば 木が 2つある訳ですから
その何と言いましょうかねぇ
よく同行二人と言われますね
また神吾と共にあり 吾神と共にあり
と言った様な事も言われますが
神様と二人連れと言う事ですね
そのひとり我が道を行く
それはその一人は他の人間と言う事でしょうけれども
神様 と思うた時には それはやはり林の字でなければならない
と言うのでしょうかね そう言うものだと言う事ですね
何をするにも何をなすにも 神様と二人連れ
と言う信心が出来て来なければならないと言う事だとも思いますね
私どもが一人で何かをすると言って
出来るものではありませんねぇ
神様のお役に立ちたい
神様が またこの氏子を御用に使いたいと思われても
神様だけで出来るものではありませんし
私どもが如何にお役に立ちたいと思うても
私どもだけでお役に立つ事は出来ない
それこそ あいよかけよとも表現されますけれども
それは大変深い意味が有ると思いますが
浅い意味においても 神様と私どもが
それこそ同行二人的な二人三脚的な生き方であって初めて
本当の神様のお役に立つ事が出来る
御用が出来ると言う事になるのではないでしょうかね
神様のおかげを頂かなければ
とても御用は 出来るものではありませんね
また神様もまた
神様お一人では その現しようが無い訳ですから
神様の手となり 足となり 口となり 耳となる
そういう人間と言うのでしょうかね を必要とされる訳ですからね
人の寿命と言うもの よく最近は癌の話を聞いたり
寿命の あと何ヶ月だと言った
そう言う宣告を受ける
と言った様な事を耳に致しますけれども
師匠が お役に立ちたいから命を下さい と願うのではなく
命有る限りお役に立たせて下さいと願え と教えて下さいました
命有る限り神様と共に御用をさせて頂く
と言う事だと思いますねぇ
私一人で出来る訳ではない
神様がそれこそ この氏子をもう少し使いたい
この氏子と共にも少し御用をしたい
と思し召されたならば
それこそまだいつまでか
それこそ神様が この氏子とまだ御用をしたいと
思われる間だけは命を下さるのではないでしょうかね
私どもが御用をさせて頂く 神様のお役に立ちたいと言う一念を燃やす
そしてまたそこに 神様がこの氏子と一緒に歩いて行こうと思われる
神様が そう一緒に歩いて行こうと思って下される様な
私どもでなければならないと言う事でもありますけれどもね
私どもが如何に二人三脚で行きましょうと
行かせて下さいと神様に申しても
神様の方から いやもういい あなたとはもう一緒に歩きたくない
と言われたら もうそれまでですからね
やはり私どもが 神様の目にご覧になって
魅力有る私どもでなければならない と言う事でもありましょうね
神様から一緒に歩いて行こうと
神様の方から 同行二人で御用をして行こうと
そう言われる様な そう思って下さる様な
私どもにならなければならないと言う事でもありますね
為には 先ず第一に 私どもが逃げ腰では
神様も一緒に歩こうとはされませんからね
私どもが先ずは お役に立ちたい
それこそ命有る限り神様の御用に立たせて下さい
と言う一念が有って初め
神様も それなら一緒に歩こうと言って下さる
思うて下さるのではないでしょうかね
いずれにしろ神様と共に御用をさせて頂く
神様のおかげで御用をさせて頂く
そう言う命有る限り御用をさせて頂きたい と言う願いを
その一念を私どもの中に燃やし続けねばならない
と言う事ではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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