2021年9月12日日曜日

有難くなる為には、有難くなれないゴミの様な心を取り除く精進 (2021-09-12)

 今日も和賀心学 (2021-09-12)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心は有難くなる稽古と言われる。その稽古の方法の一つに、1日千回有難うと言うとか、1日3千回有難うと言おうと言う様な稽古もある。今朝は別の稽古として、自らの心の中を見つめ、心の中に潜んで居る有難くなれない元を、クズの様なゴミの様な心を取り除く精進をする事だと頂いた。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 273頁)


        ビデオ: https://youtu.be/IoKSofu6nOE

        音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/09-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-09-12.mp3


合掌

中原博信

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御理解第27




昔から あの人は正直者じゃ

神仏のような人じゃという者でも




だんだん不幸なことが重なって

世間では どういうものであろうというようなことがあろうが




なにほど 人に悪いことをせぬ正直者でも

人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別ものぞ




宗教学者でも精神家といわれる道徳者であっても

おかげは受けられぬ




別物 と言われるおかげとは

楽 の下に 有難し というおかげ




即ち 心身共に極楽に住めること




貧争病のないおかげを受け

真善美の世界に住める信心者だけの味わいにひたることが出来る




茗荷栄える蕗繁昌

妙賀栄える富貴繁昌




師匠がこの茗荷とは

妙なる賀びと書いて居られます




妙なる賀び

それはどこから生まれて来るのだろうかと思いますね




一つには神様が成行きを通して教え導いて下さる

これは師匠大坪総一郎師の下で信心の稽古をさせて頂く者




それはそのそう言う人々は

神様が成行きを通して教え導いて下さる




と言う事が実感として分かる

そこに確信が頂けれる




それこそその事が 信心は命です そしてまた神様は命です

そして更に成行きは私の命ですと思えれれる程に




またその事がそう言える程しに信心の稽古が出来たら

有難い事だと思いますね




まあ私にも 成行きは私の命ですとそこまでは未だ言えませんねぇ

確かに大切だ 成行きは大切だとは分かりますけれども




神様の願いはやっぱり

成行きは私の命ですと言えれる様な人が育って来る事だと思いますね




その成行きの中に

神様が私どもを教え導いて下さる




昨日はこの事に気付かせて頂いたのですけれども

昨日と言うより今朝の心中祈念の時に分からされました事が




今初代の御理解の検索用のデータを作って

作らせて頂いて居りますけれども その中で気付かされました事は




そのデータを作る時に

9000程有るファイルを一つのファイルにまとめると言う




その作業の中で

屑が出ている事に気付かせて頂きました




いわゆる文字ではない 文字として認識出来ない

妙なデータが入っている訳ですね




それが屑となって 邪魔をしてエラーを起こす訳です




ですからその これはゴミと言うのでしょうかねぇ

屑と言うのでしょうかねぇ




そう言う 昔は使われていたコードだけれども

今はそれが使われていない いわゆるゴミのコードですね




それがむしろ災いとなって上手く作動しない

エラーとなる




そのゴミのデータ

屑のデータを取り除かなければならないと言う訳です




もうお気付きだと思いますけれども




これは即ち私どもの中の心の中にゴミの様な屑の様な心が

有りはしないだろうかと自らの心の中を見詰め




その自らの心の中のゴミの様な心

屑の様な心を取り除いて行くと言う事だと思いますね




それはどう言う心だろうかと

何がゴミになっているのだろうかと




師匠はそれこそ 信心とは有難くなる稽古だと教えて下さいます

その有難くなる稽古にも 色々な稽古が有ると思います




ある先生などは 1日千回有難うを言いましょうとか

それが 3千回になっていましたかねぇ とか




百万遍有難うと言えたら癌が治るとか 色々に言われますね

とにかく有難いと それこそ嘘から出た真ではありませんけれども




有難い 言わば有難うございます 有難うございます

1日 先ずは千回から そして 3千回




また 1万回と増やして行くのでしょうけれども

とにかく何でも有難うございます 有難うございますと




有難うございますを唱えると言うのか 言うと言うのでしょうかね

これも一つの稽古だと思いますね




今朝頂きますのは

もう一つの稽古




私どもの心の中にある有難くなれない元

を見つけ出し それを取り除いて行くと言う事ですね




なる程有難うございますを 1日千回 3千回

1万回言うのも一つの方法でしょう




そしてまた私どもの心の中から 有難くなれない元を見つけ出し

それを取り除いて行くと言うのも一つの方法であろうと思いますね




今 腹立たしい思いをしている

なぜ腹立たしい思いをしておるのか




なぜ有難くなれないのか

それは私どもの中に屑の心が ゴミの心が有るからだ




何がゴミになっているのか 例えばプライドが有ったり

人を妬む心が有ったり 羨む心が有ったり 物への執着が有ったり




その自分の願い こうありたい ああありたいと言う

自分の願いへの執着が有る 思いと言うのでしょうかねぇ




それが有ったのでは

成行きが来た時にその成行きを有難く受ける事が出来ない




自分の思いと反対の事が起こって来た時に

それを受ける事が出来ない 有難くなれない




それは これは私の執着心が有るから

これが邪魔になっているのだと




或いは人を羨む心であったり お金への執着であったり

物への執着であったり そう言うものが有難くなれない元になっている




ならばこれを取り除こうと

有難くなれない元がどこに有るのかを 自らの心を見詰め




それを一つ一つ取り除いて行く

そう言う精進をさせて頂く事が要るのではないでしょうかね




それこそ凡情と言うのが有りますねぇ

情が有る なる程情が有るのは有難い事に違いないですけれども




これが過ぎると凡情となり

それこそ有難さを吸い取ってしまうと言うのでしょうかねぇ




有難くなれない元になってしまう




私どもの心の中をよくよく見詰めると

なる程これが有難くなれない元だなと




いわゆるそう言うゴミの様なもの 屑の様な心

こう言う 人を妬む様な心が有ったのでは とても有難くなれないと




感づいたならば その妬む様な心を取り除く稽古を

取り除く精進をさせて頂く




私どもの心の中にある 有難くなれない元を作っている

屑の様な心 ゴミの様な心を見つけ出し




それこそ成行きの中に見つけ出し 取り除いて行く精進をさせて頂く

それが 有難くなる稽古の一つの方法だと言う事ですね




今朝はその成行きを通して 自らの中にあるゴミの様な心

屑の様な心を取り除いて行くのだ




そこに初めて 有難い心も頂けて来る

そう言う精進の方法を教えて頂いた様に思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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