今日も和賀心学 (2021-09-24)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
昨日は秋の御霊祭、改めて御霊様の助かりとは何だろうと思う。この世での助かりとの違いは何だろうかと思う。あの世は肉体の無い魂だけの世界だと教えて頂く。この世での肉体的な助かりはあの世には持っては行けない。あの世にも持って行ける助かりとは、心の助かりだと言う事になる。どう言う中にあっても助かっておれれる心を育てたい。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 367頁)
ビデオ: https://youtu.be/OXmg6ZnDAZQ
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合掌
中原博信
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御理解第58節
人が盗人じゃと言うても 乞食じゃと言うても
腹を立ててはならぬ 盗人をしておらねばよし
乞食じゃと言うても もらいに行かねば乞食ではなし
神がよく見ておる しっかり信心の帯をせよ
はやり唄にも
松葉の模様が気に入った枯れておちるも二人づれ
この打ち込みがあれば信心も本当なものだが
又の文句に
紅葉の模様が気に入らぬ紅葉色づきゃ秋が来る
と言うが これではならぬ
信心も少しはわかり佳境に近づいて来る
何かがある もう動揺する
信心の帯がシッカリ出来ておらぬからである
信心は神が見給う聞き給う世界に生きぬくことである
信心は神が見給う聞き給う世界に生きぬくことである
と教えて下さいます
神様は何を見て 何を聞いて居られるのだろうかと
思いますね
昨日は御霊祭でした 御霊様の助かり立ち行きをお願いさせて頂く
お礼を申させて頂く
その御霊様の助かりを願う
では御霊様の助かりとは一体何だろうかと
御霊様の助かりって何だろうかと思います
確かに御霊様が助かられます様にと願いますけれども
では一体どう言う事が助かる事なのかと
私ども この世の私どもには肉体が有ります
ですからある意味 私ども この世の人間の助かりと言うと
やはり食べたいものが食べられる
或いは行きたい所に行ける したい事が出来る それらは大抵
肉体を持っておる私どもの感覚での助かりと言うのでしょうかねぇ
痛み病気あっては家業出来難しと言われるから
その痛みや病気が取り除かれる事を願う
その例えばお金も お金が無いと困りますね
食べるものを食べない 欲しいものも買えない
やっぱりお金が大切だと
師匠もお金が無いのは首の無いのも同然だと言われるから
人間の幸せの条件としてお金が
それこそ必要なだけのお金はやっぱり要ると
お金が無くて ボロは着てても心は錦とも言われるけれども
そうではないと
神様は貧乏をさせようと思うて居られる訳ではない
やはり ボロを着せようと思うて居られる訳ではない
錦の着物を着せようとして下さる神様だと
ですから人間の助かり この世の人間の助かり
幸せの中の条件の一つに やはり必要なだけのお金が有る
いわゆる何と言うのでしょうかねぇ
必要以上に持つ必要は無いけれども 与えられる必要は無いけれども
要るだけのものは やはり要ると言う事ですね
その要るだけのものが無かったらやっぱり難儀です
形の上のものとしてのお金と言うものでしょうかね もやはり要る
食べ物も勿論要る 車や物や 物もやっぱりこの世の人間の幸せ
助かりの為には やはり要ると言う事ですね
それはこの世においてです この世でお金を貯めたからと言って
あの世に持って行けれるものではありませんね
ではこの世での助かり そのこの世での助かり
そしてあの世での助かり あの世でも通用する助かりは何だろうかと
この世でお金を沢山貯めた
そして幸せを感じた
ではそのお金はあの世には持って行けない訳ですから
あの世に行ったらたちまち不幸になってしまう
不幸とは言えなくともこの世に居てお金が沢山有って
幸せだと 助かっていると言うその助かり感は
あの世では頂けない事になりますね
お金を持って行けない訳ですから
この世でも助かる そしてあの世でも助かる
あの世はどれ程長いか分からないとも仰います
この世ではたかだか百年そこそこ 長く生きて百年そこそこだけれども
あの世では何百年 或いは何千年と居るのか分からない
ですからあの世の方が本番なのだと
あの世での助かりをしっかり頂かなければならない
この世で助かったもの をあの世に持って行き
あの世でも助かった御霊としての生活をする
さああの世での助かりとは何だろうか
あの世に持って行けれる助かりとは何だろうか
折角ならば この世に居る間に
あの世でも通用する助かりを蓄えておくと言うのか
身に着けておくと言うのか 心に着けておくと言うのか
そうでなければ意味が有りませんね
この世でどんなに金殿玉楼ですか 金襴緞子ですか
そう言うものを身に着けて 助かっていると感じていても
あの世には何も持って行けない訳ですから
人間がこの世に生まれて来る時は真っ裸だと言います
またあの世に還る時もまた真っ裸で還って行く事になるのでしょうね
その中で持って行けれるもの
それはやっぱり心だ 魂だと言う事になりますね
ですからこの世での助かりを願う
それはやはり心の助かり
私どもの心の助かり 魂の助かり その助かった心 助かった魂を
持って行くことが一つの使命だとも言えるのではないでしょうかね
折角この世に居る間に 勿論肉体的な助かりも必要でしょう
それ以上に 折角ならば心の助かりを身に着けて行きたい
そしてその心の助かりしか
あの世には持って行けないと言う事ですからね
なる程痛い痒いが有る その痛い痒いを取り除いてもらう
そこに助かりを感じる それもこの世での助かりの一つでしょう
しかしもしそこに痛い痒いを感じる
けれども有難いと言う
肉体の助かりを超えた所の心の助かり 魂の助かりを得る事が
やはり第一の目的でなければならないと思いますね
心の助かりこそが あの世にも持って行けれる助かりだと言う
あの世に行っても助かりの御霊としてのおかげを頂きたいならば
この世に居る間に 心が助かる
そう言うおかげをやはり頂いておかねばならないと
言う事になりますね
どうでも肉体的な助かりから 心が助かる
心が助かっている世界を目指させての信心でありたいと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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