今日も和賀心学 (2021-09-06)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
若しかしたら百人一徳者は要らないかも知れない。師匠大坪総一郎師の狙いは全人類が真実に助かること。合楽理念はその全人類が真実の助かりを実現する為の真の助かりの理念。全人類にその合楽理念を知らしめる為の百人一徳者、してみれば、別の方法が有れば百人一徳者は無くとも良いことになる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 190頁)
ビデオ: https://youtu.be/1ZkQQsuLU-Q
音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/09-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-09-06.mp3
合掌
中原博信
(ホームページ): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト番組名): 真の助かりを求めて (Wagakokology-jp)
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御神訓
真心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えよ
真心の道を正しく教えて下さるのは
此所御広前よりなし
教会を中心にした お取次を頂いての生活を
子にも孫にも教え伝えておかねばなりません
教えるもの自身が 迷うことのない失うことのない真の道のおかげを
うけておかねば 伝えるにも伝えようがありません
真心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えよ と
真心の道 真の心の道と有ります
これは真実の助かりとも読み替えても良いと私は思います
真実の助かりの道を末の末まで教え伝えよと言う事だと思います
人間が真に助かって行く
その道がここに有るのだと言う事ですね
今日は或る教会で百人一徳者
百人一徳者育成と言われますけれども
若しかしたらその百人一徳者は要らないかもしれない
と言うお話をさせて頂きたいと思います
今朝の心中祈念の時に
そう言う様な事を教えて頂いた様に思いますので
百人一徳者は要らないかもしれないと言うのですね
百人一徳者育成と言う事を叫ばれて居ります
またその事が行われて来ました
その勿論師匠が晩年に 御晩年に
百人一徳者育成と言う事を提唱されました
そこからの流れだと思うのですけれども
師匠の目的は百人一徳者の育成にあったのかと言うと
そうではない様に思いますね
師匠のいわゆるゴールと言うのでしょうか
真実のゴール そこは百人一徳者育成であった とは言えませんね
師匠の本当のゴールと言うのでしょうかね
それは全人類に 合楽理念が人間の真実の助かりの為の理念だ
人間の真実の助かりを達成する為の理念 それが合楽理念だ
この合楽理念をマスターし
行じて行けば全人類が真実助かる事が出来る
と言う そう言う理念だと言う事を全人類の人々に知らしめる
その為に百人一徳者が要ると
ある意味 世の人々に合楽理念を知らしめる為の
広告塔としての百人一徳者であった訳ですね
百人一徳者を作る事が目的ではない
それはある意味 今朝思わせて頂きますのは
例えば自転車なら自転車と言うものを作ると致しましょうか
それが人間の真実の助かる姿だと致しましょうか
その自転車を作って 人間の真実の助かりを作って人々に示す
こんなに便利なものはないと言う訳ですね
ところがその百人一徳者を育成すると言う事は その例えば
その車ですか 自転車の前輪なら前輪だけを作る様なものだと
自転車の前輪を作っただけでは
全体としての自転車の役前は果たしませんねぇ
ですからその一部の部品に過ぎないと言う訳ですね
百人一徳者が出来上がったからそれで良いと
それで終わりだと言う訳ではない
それはただ一つの部品に過ぎないから
後はペダルが必要であったり
後ろの後輪が必要であったり ハンドルであったり
ブレーキであったり 他の部品が未だ要る訳ですね
百人一徳者育成と言うのは
その合楽理念 真実の助かりの理念
これを全人類の人々に知らしめる
その為の単なる一つの部品に過ぎないと言う事なのですね
ですからその部品作りに血道を上げて
部品作りで終わってしまったのでは
師匠が本当に意味される所
本当に求められる所のものを満たしていない事になりますね
もし全人類に合楽理念を正しく知らしめ
人々が真実助かる事が出来る 別の道が有るとするならば
百人一徳者育成と言うものは捨てても良い 無くても良い
と言う事になるのですね
よくあれは指月の月でしたかねぇ
月を指差す 師匠は月を指差しているけれども
弟子達は その師匠の指先しか見ないと よく例えられますけれども
これに似た様な事ではないでしょうかね
その百人一徳者育成と言う事で終始してしまうならば
正に師匠の指だけを見ている
師匠が何を指差して居られたのか 指差して居られる
その先の月を見ていないと言う事になりますね
師匠が目指されたもの
それは全人類の真実の助かりであり
その真実の助かりを達成する為の合楽理念を
世の人々 それこそ全人類に知らしめる
知らしめるだけでは駄目ですけれどもね
そしてそれを行じてもらい
全人類の人々が本当に真実に助かって行く
その姿を目指されたのではないでしょうかね
もしその為の何かもっと良い方法が有るならば
百人一徳者育成ではなくとも良いと言う事になりますね
師匠が本当に目指されたもの そこをやっぱり
私どもも受け継いで行かねばならないと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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