2021年9月26日日曜日

有難さの味覚が育つこと (2021-09-26)

 今日も和賀心学 (2021-09-26)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心は有難くなる稽古と教えて下さる。子供の頃はニガゴリが美味しいとはとても思わなかった。それが大人になったらあの苦味が美味しくなった。信心も今まで苦いと思っていた事に美味しいとその苦味に味わいを感じる様になって初めて有難い世界が広がって来る。先ずは有難さの味覚が育たねば。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 356頁)


        ビデオ: https://youtu.be/qX__Ymk5BPA

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合掌

中原博信

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御理解第54




徳のないうちは心配する

神徳を受ければ心配はない




まず御神徳を受けたい




ある人は

金光教の信心は一切をおかげにしていく道だ と説かれた




合楽では 一切をお徳にしていく道 を教える

先ずは 一切神愛論 のマスターから




先ずは御神徳を受けたい

と師匠が仰って居られます 先ず御神徳を受けたいと




おかげを受けたい と言う思いから 願いから

御神徳を受けたいと言う願いへと




先ずは変わって行く事が

大切だと言う事ですね




信心は有難くなる稽古だと言われます




そして 1日有難いと言う事を 千遍 2千遍

或いは  3千回唱えると言う様な稽古が有ります




どうしたらその有難くなる事が出来るのか

ただ神様にどうぞ有難く成らせて下さい とお願いするだけでは




或いは有難いと言う事を何千遍唱えたからと言って

本当に有難くなれるとは思えませんね




味覚と言うものが有ります




私どもが美味しいと感じる その美味しいと感じるその味覚が

やはり年によって 身体の成長によって変わる様ですね




子供の頃 苦いと感じていたビールが

大人になって 美味しいと感じる様になる




それこそあれはニガゴリですか 苦いと

それが段々食べているうちにと言うのか




大人になってその味が 味わいが分かる様になると

その苦いのが美味しいと言う様になると




師匠が またの教えに

味苦魅楽と言う教えが有りますね




楽に魅せられずに 苦を味わう

苦労の味わいと言うのでしょうかね




いわゆる私どもが その苦い 今まで苦いと思っていた事が

それが美味しいと感じる様になる




私どもの味覚が変わらなければ

とても今まで有難くない と思っていたものが




有難いと思える 感じる様になる




それは私どもの心の味覚が やはり成長しなければならない

変わって行かねばならない と言う事だと思いますね




歳が寄るほど位がつくものじゃと

ただ年齢を重ねたから有難くなる




ただ信心を長くしておるから有難くなる

と言うものではないですね




その 有難いと感じるその味覚が

変わって来なければならない




何を有難いと感じるのか 私どもの味覚が変わらねばならない

と言う事になりますね




それこそ子供の頃は甘いものが美味しいと思っていた

チョコレートが美味しい




しかし大人になったら そのニガゴリの苦いのが美味しいと

ビールの苦いのが美味しいと感じる様になった




味覚が変わったからですね




私どもが私利私欲が満たされる事 我情我欲が満たされる事

その事に 有難いと感じていた そこに有難さを感じて居た




そこから更にその味覚の有難さの内容が 変わって来なければならない

育って来なければならないと言う事ですね




それこそ今日のミニ御理解に有ります 御神徳を受けたい

今まではただ単に私利私欲が満たされる事




その我情我欲の願いが叶う事 いわゆるいわゆるおかげを頂く事

その事に有難いと感じていた




それが御徳を頂く事 御徳を頂こうとする事

そこに願いが変わったら




なる程今まで苦いと思っていた事が

いや実はこれは御徳を頂く元なのだと言う事が翻然と分からされた




そしたら今までその苦いと思うておった事が

有難いと言う味わいに変わって来る




私どもの願いが変わると言う事も

大切な事だと思いますね




おかげおかげの信心ではいつまで経っても 本当の意味での

有難いと言う心は育って来ませんね 有難さの世界は開けない




やはり私どもが おかげを求めての信心から

御神徳を求めての信心




或いは神様の願いが成就する事を求めての信心へとその信心が

味覚が変わって来なければ 有難いと言う世界が開けてきませんね




ただ我情我欲を満たされる事

それだけに 有難いと感じる世界に止まっていたのでは




何十年信心をしても

有難いと言う心は広がって行かない




何を見ても聞いても有難いと言う心が開けて来る為には

やはり私どもの味覚が変って来なければならないと言う事ですね




苦いものでも美味しいと感じる様な

為には神様の願いが成就する事に 有難さを感じる様な




私の願いが成就する事よりも

神様の願いが成就する事の方に 有難さを感じる




或いはただ単にご利益を頂くことに有難いと感じる心から

御神徳を目指しての信心 御神徳を頂く事に有難いと感じる信心へと




私どもの味覚が 心の味覚が変わって来なければ 変わらなければ

いつまで経っても苦いものは苦いで終わってしまう




苦い そこに味わいを感じる様な信心になる為には

私どもの願いがまた変わって行かなければならない




我情我欲を満たす事の願いから

神様の願いが成就する事を願う信心へと




ご利益信心から

御神徳を頂きたいと言う信心へと変わって行かなければ




本当の意味においての

有難い世界に住む事は難しいと言う事ですね




どうでも私どもが 有難いと感じるその味覚が

変わる様なおかげを お育てを先ずは頂かねばなりませんね




今私が有難いと感じるもの

それはどう言う事に有難いと感じておるか




その事を先ずは見極めて そこに止まるのではなく

より真実の味わいを感じる為に




私どもの味覚を変えて行かねばならない

それは願いが変わると言う事でもありましょうね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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