今日も和賀心学 (2021-09-26)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心は有難くなる稽古と教えて下さる。子供の頃はニガゴリが美味しいとはとても思わなかった。それが大人になったらあの苦味が美味しくなった。信心も今まで苦いと思っていた事に美味しいとその苦味に味わいを感じる様になって初めて有難い世界が広がって来る。先ずは有難さの味覚が育たねば。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 356頁)
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合掌
中原博信
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御理解第54節
徳のないうちは心配する
神徳を受ければ心配はない
まず御神徳を受けたい
ある人は
金光教の信心は一切をおかげにしていく道だ と説かれた
合楽では 一切をお徳にしていく道 を教える
先ずは 一切神愛論 のマスターから
先ずは御神徳を受けたい
と師匠が仰って居られます 先ず御神徳を受けたいと
おかげを受けたい と言う思いから 願いから
御神徳を受けたいと言う願いへと
先ずは変わって行く事が
大切だと言う事ですね
信心は有難くなる稽古だと言われます
そして 1日有難いと言う事を 千遍 2千遍
或いは 3千回唱えると言う様な稽古が有ります
どうしたらその有難くなる事が出来るのか
ただ神様にどうぞ有難く成らせて下さい とお願いするだけでは
或いは有難いと言う事を何千遍唱えたからと言って
本当に有難くなれるとは思えませんね
味覚と言うものが有ります
私どもが美味しいと感じる その美味しいと感じるその味覚が
やはり年によって 身体の成長によって変わる様ですね
子供の頃 苦いと感じていたビールが
大人になって 美味しいと感じる様になる
それこそあれはニガゴリですか 苦いと
それが段々食べているうちにと言うのか
大人になってその味が 味わいが分かる様になると
その苦いのが美味しいと言う様になると
師匠が またの教えに
味苦魅楽と言う教えが有りますね
楽に魅せられずに 苦を味わう
苦労の味わいと言うのでしょうかね
いわゆる私どもが その苦い 今まで苦いと思っていた事が
それが美味しいと感じる様になる
私どもの味覚が変わらなければ
とても今まで有難くない と思っていたものが
有難いと思える 感じる様になる
それは私どもの心の味覚が やはり成長しなければならない
変わって行かねばならない と言う事だと思いますね
歳が寄るほど位がつくものじゃと
ただ年齢を重ねたから有難くなる
ただ信心を長くしておるから有難くなる
と言うものではないですね
その 有難いと感じるその味覚が
変わって来なければならない
何を有難いと感じるのか 私どもの味覚が変わらねばならない
と言う事になりますね
それこそ子供の頃は甘いものが美味しいと思っていた
チョコレートが美味しい
しかし大人になったら そのニガゴリの苦いのが美味しいと
ビールの苦いのが美味しいと感じる様になった
味覚が変わったからですね
私どもが私利私欲が満たされる事 我情我欲が満たされる事
その事に 有難いと感じていた そこに有難さを感じて居た
そこから更にその味覚の有難さの内容が 変わって来なければならない
育って来なければならないと言う事ですね
それこそ今日のミニ御理解に有ります 御神徳を受けたい
今まではただ単に私利私欲が満たされる事
その我情我欲の願いが叶う事 いわゆるいわゆるおかげを頂く事
その事に有難いと感じていた
それが御徳を頂く事 御徳を頂こうとする事
そこに願いが変わったら
なる程今まで苦いと思っていた事が
いや実はこれは御徳を頂く元なのだと言う事が翻然と分からされた
そしたら今までその苦いと思うておった事が
有難いと言う味わいに変わって来る
私どもの願いが変わると言う事も
大切な事だと思いますね
おかげおかげの信心ではいつまで経っても 本当の意味での
有難いと言う心は育って来ませんね 有難さの世界は開けない
やはり私どもが おかげを求めての信心から
御神徳を求めての信心
或いは神様の願いが成就する事を求めての信心へとその信心が
味覚が変わって来なければ 有難いと言う世界が開けてきませんね
ただ我情我欲を満たされる事
それだけに 有難いと感じる世界に止まっていたのでは
何十年信心をしても
有難いと言う心は広がって行かない
何を見ても聞いても有難いと言う心が開けて来る為には
やはり私どもの味覚が変って来なければならないと言う事ですね
苦いものでも美味しいと感じる様な
為には神様の願いが成就する事に 有難さを感じる様な
私の願いが成就する事よりも
神様の願いが成就する事の方に 有難さを感じる
或いはただ単にご利益を頂くことに有難いと感じる心から
御神徳を目指しての信心 御神徳を頂く事に有難いと感じる信心へと
私どもの味覚が 心の味覚が変わって来なければ 変わらなければ
いつまで経っても苦いものは苦いで終わってしまう
苦い そこに味わいを感じる様な信心になる為には
私どもの願いがまた変わって行かなければならない
我情我欲を満たす事の願いから
神様の願いが成就する事を願う信心へと
ご利益信心から
御神徳を頂きたいと言う信心へと変わって行かなければ
本当の意味においての
有難い世界に住む事は難しいと言う事ですね
どうでも私どもが 有難いと感じるその味覚が
変わる様なおかげを お育てを先ずは頂かねばなりませんね
今私が有難いと感じるもの
それはどう言う事に有難いと感じておるか
その事を先ずは見極めて そこに止まるのではなく
より真実の味わいを感じる為に
私どもの味覚を変えて行かねばならない
それは願いが変わると言う事でもありましょうね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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