今日も和賀心学 (2021-09-20)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、思いやる心と頂きました。人への思いやりの心を持ちたいものです。ただその思いやりがいわゆる人情から出たものであったのではややもすると神様のお邪魔に成る事もある。師匠大坪総一郎師は人情を捨て神情へと教えて下さった。神情即ち神ごころをもっての思いやる心を持ちたい。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 213頁)
ビデオ: https://youtu.be/Zx2NU-0Dpkc
音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/09-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-09-20.mp3
合掌
中原博信
(ホームページ): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト番組名): 真の助かりを求めて (Wagakokology-jp)
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御理解第7節
天地金乃神は昔からある神ぞ
途中からできた神でなし
天地ははやることなし
はやることなければ終わりもなし
天地日月の心になること肝要なり
信心はせんでもおかげはやってある
如何に天地は流行る事もなく終わりもないにいたしましても
其の天地を生かすも枯らすも氏子の信心次第であります
いつの時代いつの世になりましても
生きた天地の働きを人間氏子の幸福のため
生神金光大神取次の道の真意を体して
気を緩めることなく頂きつづけねばなりません
それには天地日月の心になることが肝要であります
天地日月の心とは だまって与え
だまって受け切り 日々を実意をもって生きることです
天地日月の心になること肝要なりと
師匠は中でも地の心 土の心ですね
受けて受けて受け貫く心 を土台にしてと言うのでしょうかね
中心に教えて下さった様に思います
土の心で 8合目までと
そして後の 2合は天の心で と教えて下さいます
この天地日月の心 特にこの天の心 地の心
その天の心 地の心を体得すると言うのでしょうかねぇ
自らの心の中に育てて行く その為に日月の精進
実意丁寧な信心が要ると言う事だと思いますね
私どもの心の中に
与えて与えてやまぬ美わしい心 天の心が
そして受けて受けて受け貫く
成行き受けて受けて受け貫く土の心が育つと言う事ですね
今朝はその これは天の心の部類に入るのではないかと
思う様な事を頂きましたが
それは 思いやる心
人を思いやる心と頂きました
人の事を思う まぁ何と言いますかねぇ
やっぱり思いやりと言うのでしょうかねぇ
それが大切だと言う訳ですね どうでも私どもの心の中に
思いやりの心が育って来なければならないと
自分だけ良ければ良いと 茶碗 人の茶碗を叩き落としてでも
と言う様な表現が有りますねぇ
とにかく自分さえよければ良いのだ
自分が幸せになりさえすれば良いのだ
自分が儲けさえすれば良いのだ
と自分が儲かる事と言うのでしょうか
そう言う自分の為のみに
人生を生きると言う生き方から
人様の事を思いやる それこそ人の助かりを願うと言うのも
その一つだと思いますね
よくボランティアと言うのが有りますが
そう言うのも やはり人を思う心の一つの現れだと思いますね
ただここで注意しなければならないのは
確かに人を思いやる心を持てよと 育てて行けよと言う事ですけれども
師匠は人情はいけないと教えて下さいます
人の事を思いやる心が それが人情から出たのではいけないと
いわゆる神情 神心から出るところの人を思いやる心
そう言う心を育てて行かなければならない と言う事だと思いますね
この人情と神情 大変どこがどう その境目と言うのか
中々難しい所が有りますけれども
少なくとも人情と神情が有ると言う事だけは
心に留めておかねばなりませんねぇ
以前もう随分前ですけれども
人情紙風船と頂いた事が有りました
人情で行くとやっぱり紙風船の様に破れてしまう事が有る
破れ易いと言う事かもしれませんね
その意味が良く
今一分からない所が有りますけれども
なる程人の事を思いやる その心が人情であったのでは
紙風船みたいに それこそ強く叩けば割れてしまう
脆いものだと言う事かもしれませんね 神情 いわゆる神心 神様の心
神心をもっての人を思いやる心でなければならないと言う事ですね
どれが人情で どれが神心か
中々上手く説明は出来ませんけれども
今私が思って居る事が
これは私の人情から出た事なのか
それが神様の情 神様の御心を元としての
いわゆる神心をもっての 思いやる心なのか
その辺の所を その時々に
自らに問うて行く事が要るのではないでしょうかね
とにかく人様の事を思いやる心
これは天の心に繋がるものだと思いますね
しかしそれが人情から出たものであってはならないと
神情 神心をもってしての 人を思いやる心だと言う事ですね
血も涙もないと言った様な表現も有りますけれども
どうでもその神心を
神情をもっての人を思いやる心と言うものを
愈々身に着けて行きたいものですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿