今日も和賀心学 (2021-09-04)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
自然に即した生き方とは髪や髭や爪を自然に任せて伸び放題にすると言う事ではない。この道は人間が人間らしく生きる道を教えて下さる。人間らしい美的感覚を養うことも重要だ。この天地金乃神様は師匠(即ち徳者)の美的感覚に応じて働きを現して下さるところがあるようだ。真善美輝く世界。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 314頁)
ビデオ: https://youtu.be/tiGJ7MRCaKw
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合掌
中原博信
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御理解第40節
重い物を負うておるか担いでおれば苦しいが
そうでないから信心は楽じゃ 家業を勤め勤めするがよい
徳川家康という人は
此の世を重い荷物を背負って山坂を登る様なものと人生をみています
世の殆どの人は 正にその通りだと思っています
どんな重いものでも 楽しく有難く持って渡れる力を与えられる道を
金光大神は教えています
しかも人間が人間らしく生きる手立てを
家業をつとめつとめ身につけてゆけるのです
その気になれば誰でもが頂けるのです
人間が人間らしく
と師匠が教えて居られます
師匠の信心の一つの特徴とも思えると思うのですけれども
人間が人間らしく と言う事をよく仰って居られました
よく自然の働きと言います 自然の働きを大切にするとか
成行きなども一つの自然の働きと言えるのかもしれませんけれども
その自然に任せる生き方などと申します
しかしこの何でもかんでも自然の 何と言いますかねぇ
自然任せの生き方と言うのと 人間が人間らしく
と言うのとは少し違う様にありますね
神様が御働き下さる これはまた
その徳を受けた人に応じて神様が御働き下さる様ですね
美的感覚と言うのが有ります
師匠は 師匠のその美的感覚を持って居られました
またその師匠の好みと言うものも有りましたね
例えば髭を生やす事などは嫌われました
それは昔から何か髭を生やすと言う事が 一寸何ですか
偉そうに偉そぶったりする時に髭を生やしたり致しますね
その慢心気が髭を生やしてる所には見える訳ですね
人より上になっていると言うのか
何かしらその髭を生やすと言うのを
余りお好きではありませんでしたね
ただその髭が大変似合う人も居られます その似合う人には
それはそれでも良いと思って居られた様ですけれども
ご自身とか そう言う事に関しては髭を生やすと言う事は
何か その人より偉くなった様なよく有りますねぇ
軍人 元の軍人さんの髭を生やした写真とか
ああ言う何か人より上になった様な そう言う何ですか
居丈高と言うのですか 何か表現が有りますね
そう言う人より威張った様な感じ 印象を受ける
ですから髭を生やすと言うのはお嫌いでしたね
自然と言う事に
例えば自然を大切にと言いますから
その頭だけで考えますと
例えば髪が伸びる 髪を伸びるその自然に任せる
或いはそれこそ髭なら髭が伸びる
自然に任せて髭が伸びるのを伸び放題にする
爪が伸びる 爪を自然に任せて爪が伸び放題に伸ばす
それが自然の生き方だと言う事ではない様ですね
むしろ爪はきちんと切る
髪もボサボサにするのではなくきちんと整える
髭も剃る
そちらの方が人間として自然だと言う様な感じが致しますね
人間の美的感覚と言うのか
そちらの髪ボサボサで それこそ何と言いましょうかね
爪伸び放題 髭伸び放題 そう言う事では
何かしら余り印象が良く有りませんねぇ
少なくとも美しいと言う事から少し外れている様な感じが致しますね
やはり身綺麗にすると言うのか 小綺麗にすると言うのか
人に余り悪い印象を与えない様にすると言う事も
やはり人間として大切な事だと思いますねぇ
人間らしさと言うものですね
人間が人間らしくと
何もかもが 髪は伸び放題 爪は伸び放題 髭も伸び放題
と言うのが自然に任せた生き方だと言う事ではない様ですね
人間が人間として人間らしく
と言うその一つの美的感覚と言うのも要る様ですね
師匠の本に色々なものが集まって来ましたが
それは師匠の美的感覚に応じて 神様が寄せて下さった様な感じですね
例えばここにはこう言う置物が有ったが良いとか
ここにはこう言う焼き物が良いとか
やはりその師匠の美的感覚があられる訳ですね
その師匠の感覚に応じて
そこに合うものが寄って来る 神様が寄せて下さる
その徳の有る徳者に 神様が合わせて下さると言うのか
徳者を喜ばせて下さるところが有る様ですね
ですから真善美輝く世界に住む
と師匠は表現して居られましたけれども
そのやはり真とは何か 善とは何か 美とは何か
その取次者 徳の有る 徳を頂いた取次者の感覚に応じて
神様がそこに現れて下さると言う事も有る様ですね
ですから良いものを良いものとして見分ける
その眼力と言うのでしょうか 美的感覚と言うのでしょうか
そう言うものもまた人間として 人間の世界においての美的感覚
そう言うものも養って行かなければならない
と言うような事も 師匠は仰って居られましたね
人間が人間らしく生きる その為の何と言いましょうかねぇ
神様がそこにお守り下さる おかばい下さると言うのか
喜ばせて下さると言うのか
どう表現して良いのかよく分かりませんけれども
人間が人間らしく生きる 徳を受けて行く手立て
を教えて下さったのが師匠の信心だと思いますね
やっぱり痛み病気あっては家業出来難しと
そこはそれで痛みが無い様に 神様にお願いする
しかしもしその痛みが神様の御都合であるならば
頂いて行かねばなりません
しかし治して頂けるものであるならば
治して頂いて構わないのではないでしょうかね
どこまでも人間が人間らしく
おかげを頂いて行く道だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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