今日も和賀心学 (2021-08-31)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
肉体的成長は目で見て分かるから見易いが、心の成長は測るのが難しい。またどう言う心に育たねばならないのかと言う事もある。教祖様は、天地日月の心になること肝要なりと教えて下さる。日々の生活を通して、天の心、地の心、日月の心を育てるのである。先ずは心を育てようと言う心が育たねばならない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 93頁)
ビデオ: https://youtu.be/ufDozoVNhoM
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合掌
中原博信
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御神訓
神徳を受けよ 人徳を得よ
最高の穀物といわれる稲 麦も放任しておっては
収穫は得られない
人間も神の氏子といっておるだけでは
哀れな生涯で終わらねばならぬ
我情を鎮め 我欲をコントロールする精進
を怠ってはならない
お道の信心によって
神の氏子としての値打ちを発揮できるおかげを頂きたい
神の値打ちを発揮出来る氏子
神の氏子としての値打ちを発揮出来ると
神の氏子と
それはやっぱり心が育たなければなりませんねぇ
昨日のお話ではありませんけれども
有難くなれない それは心が育っていないからだと
心が育てば有難くなる
ではどう言う心が育てば良いのかと言う事になりますねぇ
心が育つとはどう言う事なのか
私ども言わば肉体的な成長と言うのでしょうか
それは目に見えてよく分かります
赤ん坊が言葉を発する様になる お話をする様になる
または這い這いをする そして立ち上がる そして歩き出す
また身長がズンズン伸びて行く
体重もズンズン伸びて行く
私どもが肉体的に育つと言う事は目で見て分かりますから
育っているのが分かります けれども
心が育つと言う事は どう言う風に育てば良いのか
育てれば良いのか そこが問題ですね 中々分かりません
心だ心だと 心が問題だ 心が大切だと言われても
ではどう言う風にその心が大切なのか
どう言う心が育たねばならないのかが
具体的に示されていない所が有りますね
そこを教祖様は
天地日月の心になること肝要なり と
特に師匠はその地の心 土の心を教えて下さいました
天の心とは 与えて与えてやまない美わしの心 無条件ですね
地の心とは 受けて受けて受け貫く心
成行きを受け貫くと言う事でもありましょうかね
日月の心とは
それこそお天道様が正確無比な様に 実意丁寧な心と
この天の心 地の心 日月の心を育てて行くのだと
言う事になりますね その心を愈々育てて行く
何か問題が有る それを土の心で受ける 1回受けただけでは
また次の問題が来た時には受け切らないと言う事も有る訳ですから
その土の心が愈々育って どう言う問題が来ても
それは神様の願いが成就する事 神様が私にかけられた願い
としてその事を愈々 それこそ受ける
最初は 嫌々受ける
修行だから と言って受けると言う事も有りましょうが
愈々その土の心が育って来ると その事をただ受けるだけではない
有難く受ける事が出来る様になる
また喜びを持って 楽しみを持って その受ける事に
楽しい 和らぎ賀ぶ 賀ぶ心を持って受ける事が出来る様になる
それが 心が育たなければ出来ませんね
最初の内は嫌々受けると言う所から
嫌々と言うのか 嫌々でも 背負うことなしに受ける
と言う所から始まるのかもしれませんね
師匠が 受けなさいと
教えて下さるから受ける
それが段々稽古をして行くうちに
これは受けなければ馬鹿らしいと言う事になる
またそこに神様の愛が 神愛が現れて来る 神愛が成就する事だとして
それこそ賀びをもって有難く受けられる様になる
こうなれば占めたものなのでしょうけれども
そこに至るまでにはやはり長い道程が有る様に思いますね
子供でも一足跳びに子供から大人になる訳ではありません
這い這いをして それから立ち上がり そしてまた歩き出す
そしてまた今度は走り出すと言うその段階が有りますからね
私どもの心が育つと言う事にも やはり段階が有ると思います
そしてその心が愈々成長する 大人になる
そうすると人間は神の氏子だと
愈々成長すると神の心を心とし 神と成る
と言う所まで成長するのだと思いますけれどもね
そこに至るまでには
沢山の体験の積み重ねが要ると思います
先ずはその心を育てると言う所に焦点を定める
言わば心を定めようと言う心が育つ と言う事だと思いますね
歩き出さなくて良いと もう子供が這い這いしなくて
もう寝たままで良いと
寝たままでそれこそ
お乳を ミルクを持って来てもらったらそれで良いと
めめて食べさせてもらったらそれで良いと
言うそこで止まっていたのでは やはり成長がありませんね
私どもが先ず第一に 心を成長させようと
育てようと言うその心が先ず育たなければならないと言う事ですね
そしてそこに心を育てようと言う覚悟が出来たら
そしてそこに取り組む焦点を 目指しをそこに定める事が出来たら
いよいよな事が起こって来ても
よしこの事で心を育てるぞ と受けて行く事が出来る
助かりの世界に入る事が出来る
踏み入る事が出来る訳ですね
ですから人が助かると言う事の為には
先ずは よし心を育てるぞ と言う心が育たなければならない
と言う事になりますね
そこからの精進は 限りが無いものかもしれません
師匠は 限りない精進に限りないおかげ とも教えて居られます
とにかく人が助かる その為には先ずは
自らの心を育てるぞ 魂を磨くぞとそこに焦点を定めるその心が育つ
と言う事だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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