今日も和賀心学 (2022-04-29)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師の基本姿勢は、郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも皆んな私が悪いのです、と言う生き方です。一切を自らの改まりの信心の材料として行かれたのです。それを純粋に頂くならば世の争い事もその責任は私に有る事になります。争いを止めさせる為に誰彼をどうこうするのではない事が分かります。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 355頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第54節
徳のないうちは心配する
神徳を受ければ心配はない
損得を任せ 生死までも神さま任せになれた時の状態が
心配はない の時である
神徳を受けるということは 神を信じ神に信じられる事である
私共の場合あまりに心配なことが多い
そこに信心の精進が求められるのである
不思議に不安から安心の世界が開かれ
闇の世界から光明の世界に移り住むことが出来る
既に神徳の世界である
損得を任せ
生死までも神様に任せた時と
その確かに神様任せ 一切を神様に任せる事が出来たら
これ程有難い事はない 心強い事はない
また助かりの境地と言えるのでしょうけれども
中々私ども神様に任せ切らない所が沢山有りますね
その確かに自分の身の上に起こって来る事ならば
神様に任せ切る事も出来よう
しかし人様の難儀を見た時に
それとても神様任せになれるか と言うと中々難しい所が有りますね
自分の難儀は受ける事は出来る
けれども人様が受けている難儀をそのまま見過ごす
と言う事が それで良いのかどうかと言う事ですね
この辺になると大変微妙な所だと思います
もしその人様が難儀な目に遭っている
その難儀な目に遭っている事で その人が育つと言う事
その事が明らかにそうならば
師匠も申して居られます様に
ああ良い所を通っているな
この事でこの人がまた信心を一つ進めてくれるな
心をまた育ててくれるなあ
とそう思える
またそのお手伝いが 例えばその方が心が育つ事の為の
その難儀を通してその心が育つ そのお手伝いが出来るならば
それは良い所を通っているなあ
で 良いのだと思いますけれども
その難儀な目に遭っている人が 心を育てるその手立ても知らない
難儀が難儀で終わってしまう
そしてその方達に 難儀によって心を育てると言うその手立てを
教える事も 伝える事も出来ないとすれば
その方達は難儀が難儀で終わってしまう訳ですから
そう言う事を見過ごすと言うのは やはり心苦しい事ですね
その十分に心を育てる手立てを知っている人 習得した人達
或いはその事を習っている人達に対しては その難儀な姿を見ても
良い所を通っているな これで信心になるな
より一層神様を信じる心が強くなるだろうな
心を愈々育ててくれるだろうな
と放って置いても良いと言うのでしょうかね
しかしそう思える人は中々居ませんね
やっぱり難儀が難儀で終わってしまう人が多いですね
そう言う人達には
どう対処したら良いのか
やはり目先の難儀を取り除いてもらう事も
やっぱり要る様な感じが致しますね
神心と言うのをどこまで発露すると言うのか
大変微妙な所が有りますが
師匠の信心を純粋に頂くとするならば やはり
電信柱が高いのも 郵便ポストが赤いのも 皆な私が悪いのです
と言う生き方であり
心一つですべてをつくる
例えば今目の前の人が難儀な事に遭っている
これとても実は私の責任ではなかろうかと言う事になりますね
そしてまた師匠が 師匠の
私の有難いと言うその余波で人は助かる とも仰って居られます
してみるとそこに 自分の周囲に難儀な人が居る
これは未だ私の有難さが足りないのだ
有難いと言う余波で人が助かると言う事にはなっていない
と言う事にまた気付かねばなりませんね
大変極端な話ですけれども
世の中に争いがあって居ります
その争い事をどうしたら止める 止めさせる事が出来るだろうか
誰が止めさせる事が出来るだろうか
どういう手を使ったら止めさせる事が出来るだろうか
色々考える人は多いですね
でも人間中々難しい所が有ります
窮鼠猫を噛むと言う様な事も有りますし
人間 やけのやん八と言うのでしょうかね
になったら何をしでかすか分からない
いわゆる常識では考えられない様な行動に出る事も有ります
どうしたら止める事が出来るだろうか
誰が止める事が出来るだろうかと考えている間は
これは信心ではないと言う事になりますね
これはそれこそ私の信心不足だと
郵便ポストが赤いのも 電信柱が高いのも
世界各地で戦争が起こっているのも
これは結局私が悪いのだと
私の有難さが足りないから人が助からないのだ
こう言う事になっているのだ とその戦争責任は私に有る
と本気で師匠の信心を身に着けようとすれば
そう言う事になりますね
誰彼をどうこうして戦争を止めさせる事を
それは出来ない 難しいですね
これはそれこそ この事を通して私の心を磨いて行こう
私の心をそれこそ愈々有難い心を目指そう
そしてもし可能であるならば
戦争をなくす為に神様が働いて下さる様な
神様を動かせれる様な私になろう
と自らを磨いて行くと言うのでしょうか
改まって行くと言うのでしょうか
信心を向上させると言うのでしょうか
そこにエネルギーを持って行くのが
やっぱり一番正解である様に思いますね
その力ある者の祈りと 神様に信じられる者達の祈りでなければ
神様はやっぱり聞いて下さらない訳ですからね
先ずはこの 世の争い事 これは結局私の改まりの材料と頂くのが
一番師匠の信心に純粋に合っているのではないでしょうかね
戦争を止めたい 止めさせたい 平和な世界を実現したい
ならば自らの信心を高めて行け と言う事になりますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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