今日も和賀心学 (2022-04-06)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、みこころのままに、と頂いた。これは神様の御心のままにと頂くべきと思う。人々の我情我欲のぶつかり合いが争い事を産み出している事に違いはない。ある宗教家は御心のままにと言って最期を迎えられたと聞く。御道では御心のままに生きるのである。為には我情を鎮め、我欲をコントロールしなければならない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 96頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
わが心でわが身を救い助けよ
信は力なり
神を信ずる力量のことです
五十斤持てる人 百斤持てる人 二百斤平気で持てる人
これは 技とか業ではありません 本当の力量です
我が身を救うというても 他人を救うというても
神を信ずる力なしには救えません
神を信じる力なしには救えません と有ります
その神を信じる力 それが力量だとも言う訳ですね
どれ程神様を信じて居れるか
私どもやはり幸せになりたいと思います
そして幸せになる為に色々な事を致します
お金が有れば幸せになるだろうと言う事で
お金を得る方法を考えたり
また勉強すれば将来お金が入ると 良い会社に勤める事が出来る
そして良い給料も貰う事が出来るだろうと言う事で
勉強しなさい 勉強しなさい
と言った様な勉強の仕方も有ります
中には 本当の事と言うのでしょうか
人様のお役に立つ為の勉強をさせて頂こうとか
人が助かる為 人の役に立つ為に勉強をしようとか
一生懸命働こうとか そう言う奇特な方と言うのでしょうか
そう言う方も中には居られましょうけれども
どちらかと言うと希少価値と言う方が正しい様な感じが致しますね
やっぱり私どもは自分の幸せの為にとか
自分が良い暮らしをする為にとか
そう言う方行で 色々な事をする事が多いと思いますね
教祖様も 先ずは 我が身のおかげを受けて
とも申して居られますから
我が身の上におかげを受ける
我が身の上に 幸せになる 我が身が助かる
そして後に人を助けてやれ とも仰って居られますから
そう言う道理には適うのでは有りましょうけれども
なる程最初の出発点と言うのか 動機と言うのか
それは自分がおかげを頂く為に 自分が幸せになる為に
と言う所が出発点では有るのでしょうけれども
いつまでもそこで止まって居ってはならないと言う訳ですね
どこからかその よく合楽世界と言われますが
その合楽世界に入る前には発心川と言うのが有ると
その発心川を越えた向こうに合楽世界が有る
それはその発心は何を発心するのか
それは救われる身から
救う身への願いの転換と言うのでしょうかね
自分が救われる為に信心をする と言うそこから
人様が助かられる事の為に信心をさせて頂く
または人が助かる為のお役に立たして頂く その事の為に私の命が有る
と言った様な そこに転換されると言うのか 発心されると言うのか
そこがなければならない
と言われる訳ですけれども
何れにしろ今日頂きますのは
みこころのままに と頂きました
御心のままに ある歌の歌詞ですか それに
我が心の命ずるままに とか言うのが有ったと思いますけれども
自分の心の命ずるまま 自分の心が欲するままに生きる
と言う生き方でしょうかね
そう言うのも有ると思うのですが 今日頂きますのは
御心のままにですから みが付く 御の字が付く
これは神様の御心のままに
と頂くべきだと思いますね
あれは誰でしたか キリスト様でしたか
磔になられて 最期のお言葉が
日本語に訳すれば 御心のままに と仰って亡くなられたとか
そう言う事を聞いた様な気が致しますが
ある意味 キリスト様の最期のご心境 これが御心のままに
と言う事だったのかもしれませんね
しかしそこから始まるのですね
キリスト様は 御心のままに
で一生が終わられたと 最期のお言葉だと
しかしこの道に御縁を頂いている
師匠大坪総一郎師の許で信心の稽古をさせて頂いている私どもは
その御心のままに と言うそこから世界が始まる 命が始まる
と言っても良いと思うのですね
世界で色々な争い事が起こって居ります
これらは結局 御心の 神様の御心のままではなく
我が心のままに 我が我情我欲のままに振る舞う 行動をする
その結果争い事になってしまう
これがもし人々が
神様の御心のままに
御心のままに生きる生き方を身に着けたならば
争いも起こらない 平和な世界が訪れる事でしょうね
それこそ師匠が その両手を上に上げて
その上に上げた手を繋ぎ合って初めて 世界真の平和が訪れると
正に手を上に上げる バンザイをする
言わば降伏をした姿ですから
それは神様に対しての降伏 正に御心のままに 神様の仰せのままに
神様の御心のままに従います と言うのでしょうかね
神様の御心のままに
御心のままに 生きさせて頂きますと言う姿ですからね
これはもう我情我欲を捨てた姿
神様へのそれこそ無条件降伏の姿ですから
正に無条件降伏が
無条件幸福
片っ方はいわゆる降伏すると言う降伏
も一つの幸福は幸せと言う幸福ですね
その神様への無条件降伏が
私どもの無条件幸福へと導かれると言う事ですね
その事をどこまで信じれるか
正に力量と言う事でしょうかね
その神様を信じる力が有って初めて 神様の御心のままに
と言う生き方が出来る と言う事ですね
どうでもその神様の御心のままに生きさせて頂く その覚悟と言うのか
度胸と言うのか そう言うものもやはり要りますね
それが一足飛びで出来るとは思われない
やはりそれは日々の生活の中に 成行きを尊ぶ中に
なる程神様の御働きには間違いないな
神様の仰せに従って行けば間違いないな
と言う信心体験の積み重ねによって初めて
どう言う中にあっても神様の御心のままに と言う
やはりこれは一つの信心度胸ですね
そう言うものが出来ると思いますね
そして実際神様の御心のままに生きさせて頂く
そう言う信心生活でありたいものですね
為には先ずは 今の成行きを大切にする
そしてそこに 神様の御働きの間違いなさを実感する
その体験の積み重ねが要ると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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