2022年4月20日水曜日

有難さの味覚が育つと今まで有難くなかったものが有難くなる (2022-04-20)

 今日も和賀心学 (2022-04-20)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


美味しいと言う味覚は長ずるに従って変わる。師匠大坪総一郎師が有難いと感じられる有難さの味覚は私どもとは少し違うようだ。有難さの味覚が育たねばならない。子供の頃一寸口につけたビールは苦くてまずかった。ところが大人になるとあの苦さが美味しくなった。有難さの味覚が育つと今まで有難くなかったものが有難くなる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 166頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




子を産むは わが力で産むとは思うな

みな親神の恵むところぞ




暑ければ涼しいところを 寒ければ暖かい所をえらぶことは出来ても

暑さ寒さを人間の力ではどうにも出来ぬように




子を産むにも安産のための方法は講じても

ぎりぎりのところは神の恵みを受けねばならぬ




人間の力みだけではどうにもならぬもの

出来た所で不自然になるばかりだ




自然の働きと共に相まってのおかげをうけることが大切である

無理がないから のちのちまでのおかげになる




ここの道理は

すべてのおかげに通ずることである




ぎりぎりのところは神の恵みを受けねばならぬと

その神の恵みを 何を恵みと感じる事が出来るか




恵みであるのに恵みでないと感じて居る事もありますね

折角神様が御恵みを下さってあるのに 私どもそれを御恵みと感じない




いや寧ろ 向こうの方に押しのけたい

と思う事も有りますね




師匠大坪総一郎師が 有難いと感じられるその有難さと

私どもが有難いと感じるそれとはどうも違う様ですね




私どもただ単純に自分に都合の良い事が起こって来る

その事に有難いと有難さを感じる




ところが師匠の場合は どうもそこが違う様です 例えば

その御教えの中に 痛いけれども有難い と言う表現が有りますね




そしてまた師匠の御修行時代

それこそ破れ鞄に破れ靴と言った様な出で立ちの中




側から見てとても有難いとは思えない難儀困迫の中と言うのでしょうか

そう言う中にあっても 師匠は有難いと仰って居られたと




大坪さん どこが有難いのですか

本当に有難いのですか と側の者から見れば




あんな難儀困迫の中にあって本当に有難いのだろうか

と思われる様な中にあって 有難いと 有難い心が湧いていたと




椛目と言う所に住んで居られましたが

椛目とは木偏に花と書いてありますね




その椛目ですが その心に花が咲く

恐らく有難い 勿体ないの花が心に咲いて居られたのだと




そしてそこに心に花が咲く

その椛目の里で人が助かり出したと仰って居られますね




いわゆる師匠の有難いに人が助かり出した

と言うその有難いは




ただ単純に自分に都合の良い事が起こって来たから有難い

と言う有難さではないと言う事ですね




寧ろ自分に都合の悪い事が起こって来る

嫌な事が起こって来る そう言う中にあっても




それこそ痛いけれども有難い と言われる様な

そう言う一見都合の悪い 嫌だな こんなのは要らない




あっちに押しのけて置きたいと思う様な事の中にも 有難いと

その有難さを感じる そう言う有難さだと言う事ですね




どこからそう言う有難さを頂く事が出来るのか

そこが肝心要な所だと思いますね




私がある修行に入る前に お届けに行った時に

こう言うお話をして下さいましたが




それはニガゴオリのお話でした あの形は胡瓜みたいで

何ですかでこぼこしているものですね ニガウリです




ニガゴオリですか

ですから苦いですね




あのニガゴオリなども小さい頃はとても苦くて

とても美味しいとは思わなかった




ところがこれが段々大人になって食べ慣れると

あの苦味が美味しいのだと




いわゆるその普通ではとても 小さい頃は頂けなかったものが

長じるに従って頂けれる様になる また美味しさも感じる様になる




これはビールなどもそうですね 子供の頃

何か叔父から飲ませられたと言うか 一寸一口と頂いた事が有りますが




とても苦くて 大人は何でこう言う苦いのを

美味しいと言って飲むのかと 思った事が有りますね




子供には まあ子供の信心と言う事でしょうかね

苦い こんなものに美味しいとは思えない とても有難いとは思えない




それが信心が育って来ると

それこそ大人になると その苦い所が美味しい




言わば苦い所が有難い

と言う心が育つと言う事ですね




そう言う師匠が有難いと感じられるその有難さは

私どもにとってはとても頂けない様な




向こうに押しやりたい様な事柄の中にも

それこそ痛いけれども有難いと




その有難い有難さを感じて居られたと言う事ですね

その為にはやはり私どもの心が育たなければならない




普通では苦くて こんなのは嫌だと 美味しくないと言う事でも

これは美味しいと言えれる様な私どもの味覚が育たなければならない 




有難いと感じるその味覚がやはり育たなければならない

と言う事になりますね




どうしたらその味覚が育つか

有難いと言うその有難さを感じるその味覚がどう変わって行くかと




言う事が また信心の上で大切な事だと思いますね

さあどう師匠のその有難さの味覚が変わって行かれたのでしょうかね




今朝はそこまで教えて頂いた様に思います




またさあどう師匠の有難さの味覚が育って行かれたのか

その事をまた求めさせて頂きたいと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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