2022年4月16日土曜日

まけときまっしょ、と言う精神 (2022-04-16)

今日も和賀心学 (2022-04-16)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の信心姿勢の一つに、まけときまっしょ、と言う精神がある。10頼まれたら、もう一つオマケで11させて頂くと言うのである。私は教会修行に入らせて頂いた時にある事を心に決めた。それは、頼まれない事はしない、と。この私の基本姿勢の封印を破ろうと思う。より真実の生き方の為に。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 362頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第56




日にちさえたてば世間が広うなってゆく

ひそかにして信心はせよ




例えば むつや呉服店の場合

親が亡くなられたのは社長がまだ二十歳頃のことだった




また次々と難儀が続いた 不幸が続き

店の上にも むつや騒動と言われる程の事件が持ち上がった




もう むつやは仕舞えた という風評もたった

その中を日々のお取次を頂いた




親先生はいつの場合も

信司郎さん 大きくなることばい 豊かになることばい




唯 この一言だった 堪え難いところを神様にすがって堪えて来た

十数年後の今日のむつや呉服店の繁昌につながった




久富繁雄氏の場合も同じである

数十年の信心の中に ただ良い事ばかりではなかった




さまざまな難儀な事も続いた

地蔵の徳 と言われ




土の信心に徹せよ と教えられ これに徹した

いよいよ素直な信心も育った




親戚の者にも

金光様 金光様と逆上せておる と言われた時代もあった




そこを土の心で受け抜かれ

今日の久富一家一門のおかげと繁昌がある




この石井さんの場合も 久富さんの場合も

ある生き方を貫いて居られる と言う事が大切だと思いますね




そのやはり貫く事によって

天地に通うと言うのでしょうかね




三日坊主と言いますけれども

三日坊主ではやっぱり天地を貫くと言う事にはならない様ですね




私どもが貫く事によって やはり神様の心をも貫く事が出来る

と言う事なのではないでしょうかね




実は今日から 今まで私が基本精神としていたものを

その撤廃しようと 今朝は心中祈念の時に思わせられています




今までそれこそ貫いて来たもの

それを私の場合は止めようと言う訳ですね




一寸矛盾する様な事かもしれませんけれども




師匠の御教えの まけときまっしょ と言うのが有りますね

その事を思わせて頂くのです その例えば




雨が降るからおじゃるなと言うに 濡れておじゃればなお可愛い

と言う そこにも言えていると思いますね




言われた通りにするのではない

もう一歩 もう一つ加えると言う事ですね




師匠が お酒屋さんのお話をして下さって居りましたね

そのあれは角打ちと言ったのですかね




昔は職人さんが 例えば大工さんなら大工さんが仕事を終わって帰る

そして帰る途中に酒屋さんに寄られる訳ですね




今はそう言う事は無いのかもしれませんが

昔は酒屋さんでコップ酒ですか コップに一杯お酒を売ってくれる




そしてそこでその一杯のコップを

コップ一杯のお酒を飲んで帰る訳ですけれども




そこに その何と言いましょうかね

評判の良い酒屋さんと言うのは




その例えばコップを 一杯の酒を注文して 頼んで

その入れてくれると 勿論ぎりぎりまで入れてくれる




そしてそれこそ溢れそうになるのをすすって

一口飲む訳ですね




それで一杯入れたから もうそれで終わり

と言うのは杓子定規にそれまでですけれども




そこのお酒屋さんは その一口すすった

その一口すすりますから 少し隙間が出来る訳ですね




その隙間が出来た所にまた継ぎ足してくれる

言わば まけときまっしょう と言う訳ですね




そう言う所が評判が良いと言う様な事を

仰って居られましたね




いわゆるもう一つ その言われた通りにするのではなく

言われた通り以上にすると言うのでしょうかね




確かに言われた通りに物事をする

頼まれた通りの事をする それは勿論そうですけれども




それでなる程あそこはきちっと言った通りの事をしてくれる

と信用が付くのかもしれませんけれども




師匠が教えられる信心 それはそこからもう一歩先の

言われた通り それにプラスアルファの何かをすると言う事なのですね




そう言う姿勢と言うものを

教えて下さってある様に思いますね




ところが私の場合 これまでそうではありませんでした

実は私は修行に入らせて頂く 教会修行に入らせて頂いた時に




ある心に決めた事が有りました

それは 頼まれない事はしないと言う事でした




いわゆる勤め人さんですか 良く働く人とか言われる人達は

言われた事以外でも それ以上にと言うのでしょうか




率先して働くと言うのが有りますね

皆が働いている それ以上に言われないでも働くと言う訳です




そう言う率先して働く人達が

会社などではその出世するのでしょうね




で 言われた事だけしかしない

或いは言われた事までそこまでも行かない




足りないと言う様な人は普通と言うのか それ程出世はしないと

もし出世をする為には 言われた事以上をしなければならない




率先して仕事をする 自分で仕事を創り出して仕事をする

と言う様な事も言われますね




修行に入ったのだから ここは信心の世界だから

もし自分で何か仕事を見付け出して仕事をする




そうすれば人受けは良いだろう

けれどもそこには私の我が入ってしまう




いわゆる我で何かを 例えば草むしりをするとか

どこか壊れている所を修理するとか




なる程人受けは良いかもしれないけれども

果たしてそれは信心だろうかと




私の我ではなかろうか

と言う思いが有りましたので




私はそれから一切 自分から率先して何かをする と言う事を

ある意味封印したと言うのでしょうか 止めました




そして頼まれた事 これは神様が成行きとして下さった事だから

これはさせて頂こうと




いわゆる成行きとして頼まれた事以外はしない

と言うのが私の修行生時代の基本精神でした




今でもやっぱり

それが 私の中に強く残っています




ですから頼まれない事はしない

と言うのが 私のこれまでの基本精神でした




今日からはこれを撤廃しようと いわゆる封印していたものを

印を取ってしまおうと 封印を解こうと言う訳ですね




これからはこうした方が良いと思う事が有ったら

そうさせて頂こうと思うのですね




それは師匠のその まけときまっしょ

その まけときまっしょの生き方とは少し違っていたからですね




言われた通り 言われた事はすると

そこ止まりだった訳です




私の生き方ではその

まけときまっしょう と言うものが無かった訳です




頼まれたら頼まれただけの事をすると

頼まれた以上はしない




また頼まれなければしない と言う基本精神 基本的な生き方

これはなるべく自分の我を出さない 我で何かをすると言う事をしない




と言う事の一つの現れであった訳ですけれども

その何と言いましょうかね 生き方を今日から止めようと思います




それこそ師匠が教えて下さる まけときまっしょ

と言う生き方が やはり天地に通う生き方であると言う事ですね




ですから神様に気に入って頂く

と言うのでしょうかね




神様から言われた通りの事をする

これは勿論最低条件として有りますけれども




それ以上にもう一つ まけときまっしょ

と言う生き方が それこそ神様に好かれる生き方だ




神様により気に入って頂けれる生き方だと

言う事になりますからね




人間を対象にしたものでは有りません

人様に好かれる為にすると言うのでは有りません




神様に好かれる為にしようと言う訳ですね

この辺になると大変微妙な所が有る様にも思いますけれども




師匠がそう教えて下さるのですから

やっぱりそうするのが本当だなと




今日は今までの私の生き方が間違っていたと言うのか

これは本当ではないなと




これからは今までの生き方を止めて

新しい生き方にならせて頂こうと そう思わせて頂いています




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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