今日も和賀心学 (2022-04-18)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師の合楽理念の母体は成行きを尊び大切にすることだが、その根本に、神様を天地金乃神様を大切にすると言う事がある。ただ単に成行きを大切にするのではない、神様を大切にするのである。成行きを大切にする、それが神様を大切にするその心の表れとなったとき天地と通うようになるだろう。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 401頁)
ビデオ: https://youtu.be/mEbwBSFLb0c
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/04-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-04-18.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御理解 第69節
信心はみやすいものじゃが みな氏子からむつかしゅうする
三年五年の信心では まだ迷いやすい
十年の信心が続いたら
われながら喜んで わが心をまつれ
日は年月のはじめじゃによって
その日その日のおかげを受けてゆけば立ち行こうが
みやすう信心をするがよいぞ
好きこそものの上手なれ
信心が好きにならねばならぬ
それには信心の好きな人の話を聞く事
信心の奥処を尋ねる楽しさ 喜ばしさ
我が心に合掌出来る心には限りがない
信心の節目節目を大切に 節から芽が出る枝が出る
節から芽が出る枝が出ると
信心の節目 どう言う所を信心の節目と言うのでしょうかね
何か物事が起こって来る その時にそれをどう頂くか
そう言う時などが一つの節目と言えるのかもしれませんね
何か私どもに その成行きと言うのでしょうかね
それが起こって来る それを神様の御働きとして尊んで行く
節を大切にする者は伸びると
師匠はこの何と言うのでしょうか 格言と言うのでしょうか
それを大切にして来たと
仰って居られましたが
節を大切にする 言わばある意味
成行きを大切にする と言えるのだと思いますね
あるもう亡くなられた俳優さんでしたか
女優さんも その成行きと言う事を大切にして居られたと
何か本を書かれておる様ですね
ところが世間で言うその成行きと言うものと
私ども 師匠の許で 師匠がその仰る成行きとは
少し意味合いが違う様な所が有りますね
確かに成行きを大切にする
ですけれども
また師匠は合楽理念は簡単です明瞭です
しかもおかげが確かです と教えて下さる
ではその簡単です 明瞭です
しかもおかげが確かですと
どこがどう簡単で明瞭なのか と言う事ですけれども
それは信心の段階に応じて色々有るのでしょうけれども
どうでも師匠大坪総一郎師の許で信心の稽古をさせて頂く者として
頂いて行かねばならないもの
それはやっぱり成行きを大切にする
尊ぶと言う事だと思います が
思いますが
ただ成行きを尊ぶ大切にすると言うのではないと言う事ですね
確かに最初の内はそれこそ成行きを尊ぶ大切にすると
思わぬおかげを頂いたり
自分にとって良い事
都合の良い事が色々重なって来たり致します
それで なる程成行きを大切にしたら良いなあ
都合が良くなるな おかげを頂くなあと思います
それで自分に都合の良い事が起こって来るから成行きを大切にしよう
と言う心が生まれるものですけれども
しかしそこ止まりでは
何かもう一つ神様に通わない
確かに神様から飴玉を頂いて有難い
それは飴玉が有難いのでありますね
その同じ飴玉をもらって有難いでも
その飴玉が有難いと言う世界から
もう一つその 飴玉を下さる神様の御心
神様の御親切が有難いと言う所に
思いが進んで行かなければならない
と思うのですね
その成行きを大切にするでも
自分にとって都合が良いから成行きを大切にする
そう言う生き方だと 自分に都合の良い成行きは大切にするけれども
何か都合が悪くなる様な成行きはもう大切にしない
と言う事にもついついなりますね 言わば自分の都合で
成行きを取捨選択と言うのですかね する様な事になります
どこまでも師匠が教えて下さる 成行きを大切にする
それは成行きが神様の御働きだから
神様の御働きとして成行きを大切にする
それももう一つ裏を返せば
成行きを大切にする とは言うけれども
成行きを大切にしているのではない
そのもう一つ奥に有る 神様の御働きを大切にしているのだと
それは神様を大切にする と言う事ですね
ですから師匠の許にある者は
成行きが有るのではない 神様がそこに有るのだと
その神様を大切にする
その神様を大切にすると言う事の具体的な表れが
その働きである所の成行きを大切にする
一寸理屈っぽく聞こえるかもしれませんけれども
私どもの心が 成行きを大切にすると言う心の内容が
成行きを 都合が良いから大切にすると言うのではない
神様を大切にする と言う所に心が向かなければならない
と言う事なのですね
その神様の御働きだから
成行きを大切にすると言う事なのです
その元は 神様を大切にすると言う事が
その心の根底になければならない
その心が育って来なければならない
と言う事ですね
その元は 言わば神様を大切にするのだと
天地金乃神様を大切にするのだと
そしてその神様を大切にするから
その御働きである所の成行きを大切にして行く と言う事になりますね
言わば誰かを大切にする
そしてその大切にする 例えば師匠なら師匠を大切にする
そしてその子供さんである所の子供さんを師匠の子供として
師匠の子供さんとして大切にすると言う様な感じなのでしょうかね
決して子どもを大切にしているのではない
それが師匠の子供さんだから大切にする
それは師匠を大切にしていると言う事なのだと
言う事なのですね
成行きと言うそのものを大切にしているのではない
それを引き起こして下さる神様を大切にしている
神様の御心を大切にしている
それが成行きを大切にするとして 具体化されると言う事ですね
そうなった時に初めて
本当に神様に通うと言う事になるのではないでしょうかね
簡単ですね 明瞭ですね
それは神様を大切にすると言う明瞭な私どもの心から来る所の
いわゆる成行きを大切にする
と言うまあ簡単な働きと言うのでしょうか
簡単な行と言うのでしょうか
になると言う事ですね
神様を大切にすると言う事が
その根底になからねばならないと言うのか 有ると言う事ですね
神様を大切にする
だからこそ その働きである成行きを大切にする
そうなった時に初めて
その成行きを大切にすると言う事が天地に通う
と言う事になるのではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿