2022年4月19日火曜日

有難さの度合いと内容 (2022-04-19)

 今日も和賀心学 (2022-04-19)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師は、私の有難いその余波で人が助かると仰って居られた。ある方には、貴方と私の頂くおかげの差はその有難さの度合いの違いだと仰られたと聞く。その有難さの度合いの違いともう一つ、有難さの内容にも違いが有るように思う。只自分に都合の良い事に有難いと感じるその有難さでは人が助かる働きには繋がらないようだ。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 128頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




まめなとも信心の油断をすな




まめであればある程に 平穏無事であれば平穏無事である程に

強うなり手厚うなる信心を身につけてゆかねばならん




それには和楽路ばき 一生懸命の意

の信心が いよいよ決意されねばならん




御道の信心は

和楽の路を辿るのであるから




和楽の路と教えて居られます

和楽の路 和は平和の和ですね 楽は楽をすると言う楽ですね




和楽の路 さあどう言う道なのでしょうかね

私も今の所よくは分かりません




分からない事が結構一杯有りますね

今朝は分からない事だらけなのですけれども




その分からない事のもう一つのお話を

今朝はさせて頂こうと思います




それは師匠が 私の有難いと言うその有難さの余波で人が助かる

と仰って居られました




その師匠の有難いと言うその余波で人が助かると




またの御理解に ある方に

貴方と私のいわゆるおかげを頂くその差が出来て来たけれども




その差はどこから出来て来たのかと思うか と言う事に対して

それは有難さの度合いが違うと




あなたが 1 有難いと思う時に 私は 10 有難いと感じる

感じて居ったと いわゆるその有難いと言うその度合いの違い




と言う事を仰って居られましたね ただ有難いと言うだけではない

その有難いと言うその度合いの違いがおかげの差になって来ると




ところがなる程師匠が有難いと言われる

その師匠の有難さの度合いと言うのは




私どもが感じる有難さとは

また一段と違った度合いを持っての有難さだと言う事なのですけれども




どうももう一つ 師匠が感じる有難さと

私どもが感じる有難さとは 何か質が違う様な感じがするのですね




そのよくは今も分からないのですけれども

よく神愛会の共励会とか その他の共励会でも




有難くてたまりませんと もうそれこそ感動一杯に

その有難さを語られる方が居られます




なる程この方達の有難いと感じる度合いは 私が感じる有難いよりか

遥かに度合いが深いと言うのか 高いと言うのか 違う訳ですね




しかしそのなる程涙が出る程しに有難いと言うものを感じて居られる

それならばそこに人が助かる働きが起こっているかと言うと




それは起こっていないのですね

なる程 涙が出る程に有難い 神様を有難いと感じて居られる




しかしそこに人が助かると言う働きは誘引されていない

と言うのでしょうか 起こっていない訳です




それでどうも師匠が感じられる有難さと

その方達がそれこそ泣く程に有難いと言われるその有難さとは




どうも有難さの内容が違う様な感じがするのですね

今までに分かっています事は




その方達が有難いと言われるのは

どこまでも自分に都合の良い事が起こる




その事に有難いと

自分の都合の良い事が起こった時に感じる有難さなのですね




どうも師匠の場合は自分に都合の良いから有難い

と言う有難さとは少し質が違う様な感じがするのですね




師匠自らその事に付いて語って居られるのを

意識して聞いた事が有りませんので 未だに私も分かりません




ただ普通に有難くなるとか 言う表現しかされませんね

それこそ日本一有難い私になるとか




そう言う 年が寄る程有難くなると言った様な

そのただ有難くなると言う表現しか有りませんから




その何に対してどう有難くなるのかと言う

その内容までは示されていないのですね




その内容が 有難さの内容が違う様な感じが致します

ハッキリ違うな と思いますのは




私どもが有難いと言うのは

自分にとって良い事が起こって来るから 起こって来たから




自分にとって都合の良い事が起こって来たから有難い

と言うそう言う有難さ な訳ですね




いわゆるある意味 御利益信心に於けるおかげを頂くその有難さ

そこ止まりなのですね




それがなる程 涙が出る程しに有難い

とは言っておるけれども 感じておるけれども




どこまでも ある意味手前勝手の有難さ

な訳ですね




どうもこの手前勝手な有難さでは 人が助かると言う程しの

神様が御働き下さる そこまでは行かない様な感じですね




いや と言うよりか実際行ってない訳です




どんなに有難い有難いと言われる人の周囲に於いてでも

人が助かる と言う働きは起こっていないのですね




ところが師匠が感じられる 感じられる有難さ 有難い

そこには人が助かる働きが誘引されている




起こっていると言う事なのですね

おぼろげながらは分かるのですけれども




ハッキリ師匠の有難さが どう言う有難さなのか

そこまでは未だ実は分からないのですね




ただ有難さの内容が違うと言う事だけは

ハッキリしていますね




それはただ自分に都合の良い事に対して有難い

と感じる有難さではないようだ と言う事ですね




さあそれならば

どう言う有難さだろうか




師匠が感じられた有難いと言うのは

どう言う有難いと言う事なのだろうかと




その内容を求めて行く その有難さの内容を追求して行く

そう言う信心姿勢が要ると言う事ですね




手前勝手の有難さではない

また別の意味での有難さと言うのでしょうかね




未だ分かりませんけれども




どうでも師匠が感じられる有難い その有難さはどこに有難さを

有難いと感じて居られるのか 居られたのか




その有難さの内容と言う事に

心を向ける事が要ると思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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