今日も和賀心学 (2022-04-11)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
五つの願いの中にある真実の御用とは、真実の使命とも言えるとも思う。それは天地金乃神様の御働きを頂き現し示し人々に伝えて行くこと、と同時に神様の御教えを伝えて行くこと、勿論自らが行じてと言うこと。その神様の御働きを伝え、御教えを伝えることが下心の無い真心をもってなされること。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 134頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
慢心が大けがのもとなり
信心はえらくなるためでもなければ
かしこうなるためのものでもない
信心は有難うならせてもらう稽古である
おかげを受けるために信心すると おかげを受けて慢心になる
信心 真心 神心を求めての信心には 慢心の出ようがない
が 慢心が出るほどのおかげも受けてみたいものです
慢心が出る程のおかげも受けてみたいものです
と仰って居られますが
この神様 特に師匠大坪総一郎師の許で信心の稽古をさせて頂く
私どもには神様が慢心が出るおかげは授けて下さらない様に感じますね
これ以上のおかげをやったら
或いはここまでのおかげをやったら
これは慢心が出ると思われまる
その一歩手前で止められると言う感じですね
例えば 10万円のおかげで慢心が出るなら 9万円で止めるとか
100万円で慢心が出るなら 99万円で止めるとか
その慢心が出る点の一歩手前の所までのおかげしか授けて下さらない
そう言う感じが致しますね
ですから愈々おかげを頂きたいと思うならば
その慢心が出る点と言うのでしょうか
これ以上おかげを頂いたら慢心が出ると言う
その点を段々引き上げて行くしか有りませんね
ほんの一寸のおかげで慢心が出ると言うのでは
ほんの一寸のおかげ止まりと言う事になりますね
その私どもがどうでも
それこそおかげを頂かねばなりませんけれども
今朝教えて頂きますのは あの五つの願いの中の
4つ目の 真実の御用が出来ます様にと言うのが有りますね
その真実の御用 なる程真実の御用
では具体的に真実の御用とは何だろうか とやっぱり思います
分かった様で分からない様なのが
この真実の御用と言う事ですね
一体何が真実の御用なのだろうかと
どうすれば良いのだろうかと
どう言う御用をすれば真実の御用と言えるのか
と言う事ですけれども
色々有ると思いますが 中にもその例えば嘘の御用
本当の御用ではない嘘の御用と言うのが有りますね
それはどう言う御用か やっぱりこれは真心からの御用ではない
と言う御用ですね
例えば何かを頂きたいからこの御用をしようとか
おかげを頂きたいからこの御用をしようとか
言わば下心が有っての御用と言うのでしょうかね
これなどは真実の御用とは言い難いと思いますね
下心の無い真心からの御用と言うのが
真実の御用と言えると思うのですね
では具体的に何をすれば良いのかと思います
今朝頂きますのは
真実の御用 それはやはり信心を伝えて行くと言う事だと
では信心を伝えると言うのはどう言う事かと
それは神様の御働きを頂く 現す それを示し伝えて行くと言う事だと
と同時に神様の御教えを伝えて行くと言う事だと
とかくどちらかに偏りがちな所が有りますね
特に段々神様の御働きを現せなくなると
御教えだけを伝えると言う事になってしまいます
教えだけを伝えるとなると
いわゆる道徳と何ら変わらなくなります
信心による教え 師匠の教え
そこには必ず神様の御働きと言う裏付けが有ると言う事ですね
ですから教えを伝えると同時に
そこにそれこそ神様が躍り出て下さる
神様の御働きを頂き現し示し そして伝えて行かねばならない
その現実の神様の御働きを頂かねばならないと言う事になりますね
そしてまたその神様の働きを頂いている事を
私どもが実感しなければなりませんね
どうしたらその神様の働きを実感出来れるか
一番良いのが と言うのか手っ取り早いのが
やっぱり成行きを大切にすると言う事でしょうね
成行きを大切にすれば
そこにそれこそ打てば響く様な手応えが頂けますね
そしてなる程形の上に現れるおかげも有ります
けれどもまた心の上に現れる神様の御働きと言うのも有りますね
今朝こうしてお話させて頂いている
これもやはり私は神様が御働き下さり
私の心の中にそう言うものを感じさせて頂いた
神様の御働きの現れの一つだと私は思います 実感して居ります
それこそ神様の思わせと言うのでしょうかね
そう言う神様の御働きを頂かなければ
さあ今日はどう言うお話をさせて頂いたら良いのだろうかと
そこで止まってしまいます
神様のおかげを頂き いわゆる神様が教えて下さる事を実感し
今日はこの事をお話させて頂くのだな と心の中に感じさせて頂く
言わば私どもの心の中に神様の御働きを
頂いて行く 現して行く
そしてそれがまた話になる時に
示して行くと言う事になるのではないでしょうかね
とても神様の御働きを頂かなければ 神様のおかげを頂かなければ
お話が出来るものでは有りませんね
そしてその神様の御働きを
頂き現し示し伝えて行く
と同時に それだけであったのでは
いわゆるご利益信心と何ら変わりは有りませんからね
更に私どもの心を育てて行こうと言う
この世には魂を清める為に生まれて来たのだ
ではどう言うふうに魂を清めて行くのか 磨いて行くのか
それこそ具体的に天の心 地の心 日月の心を身に着けて行くのだ
その為に日々の行が有るのだと言う事になりますね
そう言う教えと言うものですか 神様が示して下さる
こう言う心を育ててくれよ こう言う氏子に育ってくれよと言われる
その神様がお示し下さる 師匠が教えて下さる教えを伝えて行く
これが真実の御用であり 私どもにかけられた使命だと
その使命をそれこそ下心が有っての事ではなく
それこそ御ヒレイを頂きたいからとか おかげを頂きたいからとか
教会が発展する為にとか そう言う下心が有っての事ではなく
真実 真心からその使命を全うさせて頂こう
神様の御用に使うて頂きたいと言う
真心からの御用 真心をもっての神様を現し 教えを伝えて行く
これが真実の御用だと 今朝は教えて頂いた様に思います
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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