今日も和賀心学 (2022-04-08)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
天地金乃神様から願いを託される私にならねばならない。師匠大坪総一郎師の御理解を残し伝える作業がまだまだ数年はかかる、私の後に誰か継ぐ人は居られないだろうかと思う、が、その願いを託せる人は中々居ない。託される条件の一つは、残し伝えようと言う情熱、その一心がある事。情熱のある人が少ない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 338頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第48節
わが子の病気でも
かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ
言うことを聞かぬ時に ままよと思うてほっておくような気になって
信心してやれ おかげが受けられる
ままよと思うて放っておくような気になって
と言うことは
自分の欲や情を捨てた姿ですから
神さまに充分の働きが頂ける場を作るようなものです
その上 信心してやれ とは
いよいよ信心を進めてゆけと言うことです
四十八節とは
いつもがおかげのチャンスと言うふうに思います
常平生がこの気持ちにさせて頂くなら
間違いない御神徳がうけられます
ままよと思うて放っておくような気になって
と仰って居られます
ままよと思うて放っておけ
とは仰って居られませんね
ここを勘違いする 間違えてしまう所ではないでしょうかね
放っておく様な気になって 信心してやれと
決して放っておけと言う訳ではありませんね
放っておく様な気になって と言う所が大切だと思いますね
実は師匠のお話等いわゆる御理解ですか
これをどうでも残したい 伝えたいと思います
そして今させて頂いている作業が有りますけれども
もう年を取って行きますと
これは私が生きてる間に終わらせる事が出来るだろうか
と言う一寸した不安が起こって来ます
これは若しかしたら 私が生きている間には出来る
出来ないかもしれないなと思います
そしてならば この作業を誰か
引き継いでくれる人が居るだろうかと思います
ところがどうも引き継いでくれる様な人が残念ながら見当たりません
そこではたと 心中祈念の時に思わせられたのですけれども
なる程こう言う事かと
言わば自らの願いを誰かに託したいと思う訳です
しかしその願いを託する人が居ない
そこまで情熱を持って取り組んでくれる人が居ない
と言う事でも有りますね
またきちっとしてくれる人が居ない と言う事でも有ります
この人に任せとけば大丈夫だろう ちゃんとやってくれるだろうと
言わばそう言う眼鏡に適う人が居ない と言う事でも有ります
なる程神様の目からご覧になって
或いは師匠の目からご覧になって
この人になら自分の願いを託しても良い と思われる様な私に
ならねばならないのだな と改めて思わせて頂きますね
その教祖様が それこそ神様がご覧になって
この氏子になら神様の願いを託しても良いと 託せるなと
間違いなく自分の願いを託して その願いに応えてくれるだろう
とそう認められたと言うのでしょうかね そう思われたから
それこそあのいわゆる何でしたかね
教祖様への神様の頼みはじめと言う
立教神伝と言われる
あそこに至ったのではないでしょうかね
神様が教祖様を この氏子になら神様の願いを託しても良いと
そう思われたと言う事ですね 感じられたと言う事です
ですから神様から この氏子になら私の願いを託しても
ちゃんとやり遂げてくれるだろう
と思われる様な 感じられる様な私どもにならなければならない
と言う事ですね
そのではどうしたら
その願いを託してもらえれれる私どもになれるか
その一つの条件 それはやっぱり
その人にそれだけの情熱が有るかどうか と言う事だと思いますね
それはやはり師匠の御理解を残したい 伝えたい
それこそ何でもの願いではありませんけれども
何が何でも残したい と言う その一心の真とも言われますけれども
そう言う一心の無い人にはやはり頼めませんね
この人に頼んで その内どうなるか分からない
しだごだで途中で諦めて辞めてしまったり
何か他の事にうつつを抜かしてしまう様な事では
困りますからね
この人に任せておけば安心だと
言うその人にそれだけの先ず情熱が有るか
その一心が有るかどうか
それが先ず第一だと言う感じが致しますね
その一心さと言うのでしょうか
それが無い人にはやっぱり夢を託すと言う事は出来ませんね
同じ夢を見て そしてその夢を実現する
そこに一心さが有る 情熱が有る
この人になら私の夢を託しても良いと思えれれる様な人に
やはり私どもが先ずはならねばならないと
為には どうでも 何が何でもこの事をやり遂げるぞ と言った様な
その一心 情熱と言うものを持った人でないと託せないと言う事ですね
教祖様にはやはり 神様からご覧になって
そう言う一心さ 熱量と言うのでしょうかね
そう言うものがお有りになったのだと思います
それがそれこそ 神様のおかげを受けねばと言う一心であり
神様のおかげを受けて人を助けたい
勿論自分自身が助かりたいと言う思いの強さ
そしてその自分が助かったそれを
やはり人様にも伝えたい 人様にも助かって頂きたい
神様のおかげを頂いて 助かる道はないものかと
そこを求めるその情熱と言うのでしょうかね
そう言うものに神様が ある意味
ほろっとされたのかもしれませんね
そしてこの氏子になら私の夢を 私の願いを託しても良い
いや託そうと思われたのだと言う事ですね
神様から その神様の願いを託される様な
私どもにならねばならない
そこには一つの条件として 私どもの中にその一心が
人を助けたいと言う 真の道を伝えたいと言う
師匠を残したい 伝えたいと言うその一心が
情熱が それが認められて初めて
よしこの氏子に託そう
と言う事になるのだと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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