2022年4月9日土曜日

御神徳とは神様の願いを託される事とも言えよう (2022-04-09)

 今日も和賀心学 (2022-04-09)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師は、神様を使う信心から神様に使われる信心を目指せと教えて下さる。使われると言っても反面教師として使われる様ではいけない。人助けの為に御神徳を得ようと言う信心ではない、神様から人助けの願いを託される様な御信用と言うこと。御神徳とは神様の願いを託される事とも言えよう。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 95頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




生きたくば

神徳を積みて長生きをせよ




神さまにささえられており

かばわれてある実感をもって 生涯を終わりたい




神様に支えられている

神様にかばわれている私




そして今朝頂きますのは

更に神様に使うて頂いている私になれと




師匠大坪総一郎師が 神様を使う信心から 神様から使うて頂ける

神様から使われる信心になれ と教えて下さいます




私どもはやはりどうしても神様を

それこそ便利屋の様に使う




神様を使う信心 信心と言えば神様を使おうとする事

そこ止まり終わってしまいますね とかくですけれども




師匠はそこからもう一歩先に

神様から使われる信心 神様から使うて頂けれる信心を目指せと




神様の願いが成就するそのお役に立たせて下さい と言う事などは

その願いを神様が聞き入れて下さるならば




それこそ神様の願いが成就する事の為に

私どもを神様が使って下さる事になりますね




結局私どもが目指す所は 神様を使うと言う事

どうしたら神様を上手に使えるだろうか




どうしたら神様を動かす事が出来るだろうか

と言う信心ではありませんね




そこから神様に どうしたら使うて頂けれるだろうか

と言うそこに心を用いる信心になると言う事ですね




それこそ使われて楽しいとか

使われて 使われる喜びですか そう言うものが有りますね




あのよく例えば好きな人がある

その好きな人のお役に立つと言うのか




好きな人から何か頼まれ事をする

そしてその事をさせて頂く そこにまた喜びが有りますね




あれは 嫌いな人の親切よりか 好きな人の無理が良い

何か無理な事を頼まれると言う事でしょう




無理とまでは行かなくとも 何か頼まれる

頼まれ事をすると言う事でしょう




嫌いな人からどれ程親切にしてもらうよりか

好きな人から あれをして下さい これをして下さいと頼まれる




その事をさせて頂く そこに喜びを感じる

嬉しみ楽しみが有ると言う事でしょうね




ですから神様から頼み事をされて それが楽しい喜ばしい

と言う様な信心が やはり育って来なければならないと言う事ですね




昨日の続きではありませんけれども

それこそ神様が その神様の願いを託して下さる




そう言う私どもに

やはり育たねばなりませんね




使われる身から

その使われる その使われ方にも色々有る訳ですからね




ただ使われると言う事であったのでは

あれは何ですか 反面教師と言うのが有りますね




そう言う こんな悪い事をしてはいけないよ

と言うその悪い事の見本として使われる




それもやはり使われるですけれども

そう言う使われ方ではいけませんね




やはり使われるならば こう言う人になりなさい

こう言う信心をしなさい と言われる様な手本見本として使われる様な




そう言う使われ方をさせて頂けれる私どもに

ならねばなりませんね




と同時に その神様が 私どもにその願いを託して下さる

思うのですけれども 御神徳と言われます 御神徳を得ると




その御神徳を得る信心をしなさいと

そしてその御神徳と言うのは 神様の御信用だと




即ち神様から信用して頂けれる様な私になりなさい

と言う訳ですけれども




ではその神様から信用して頂いたらどうなるか

御神徳を頂いたらどうなるかと言う事ですね




それこそ御神徳を頂いて人を助けよう

人を助ける為にはやはり神徳が要る いわゆる力が要ると言う訳ですね




これは未だ本当の御神徳は頂けないと思いますね

何故ならその頂いた御神徳を使おうと言う訳ですから




言わばこれは神様を使おうと言うのと代わりませんね

神様を使って人助けをしようと言う訳ですからね




ですからその御神徳を頂く

おかげを頂くよりか御神徳の方が値打ちが有ると言う訳ですけれども




これは飴玉よりお金の方が値打ちが有る

ダイヤモンドよりお金をもらった方が値打ちが有る




と言った様な それと五十歩百歩ですね

本質的に変わって居りません




御神徳を頂いて人を助けようと言うのが有りますけれども

これはどこまでも人を助ける為に神様を使おうとしている姿ですね




そこからもう一歩進んで

神様の方が 神様から人を助ける為にあなたを使う




となった時に これがいわゆる本当の御神徳

と言う事ではないでしょうかね




神様から信用される 神様が信用して下さって初めて

よしこの氏子に願いを託そうと言う事になる訳ですからね




その神様が人を助けたいと願われる その人を助ける為に

言わば役に立ってくれと 人を助けるその神様の願いが託される




そう言う私どもにお育て頂かねばならない

育たねばならないと言う事ですね




本当に御神徳を頂いた者の姿 それは神様から願いを

人を助けたいと言うその神様の願いを託された人




託されること

と言う事になるのではないでしょうかね




私どもが何かをしたい

それこそ一番の願いと言うのでしょうかね




人を助けたい その為に御神徳を頂きたい

と言う間は御神徳は頂けないと言う事になりますね




それはどこまでも神様を使おうとしている信心だからですね

御神徳を使おうとしている信心だからです




本当の御神徳は 神様から使われる私になる

神様がその願いを託して下さる私どもになった時




初めて御神徳を頂いたと

言う事になるのではないでしょうかね




神様が私どもを それこそ全面的に信頼して下さり その神様の願いを

人を助けると言う願いを託される様な私どもに育たねばならない




と言う事ですね

為には やっぱりどうでも神様から使われる私




どうしたら使うて頂けれるだろうか どう言う信心をさせて頂いたら

どう言う心になったら 神様から使うて頂けれる様になるだろうか




そこを目当てにしての信心に

先ずは取り組まねばならないと言う事でしょうね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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