2022年4月30日土曜日

人間中心の生き方から神様中心の生き方へ (2022-04-30)

 今日も和賀心学 (2022-04-30)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


土地の人々がより良く住める様に、水の無い不毛の地に水を引いて緑の大地に変えようと言うプロジェクトがある。今朝は、それが過ぎると環境破壊、自然環境を壊してしまう事に繋がると頂いた。人間中心の生き方だからである。信心させて頂く者は神様中心でなければ、神様の合意の上での緑化でなければ。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 202頁)


ビデオ: https://youtu.be/9-gsooxp0hA

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/04-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-04-30.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

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(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

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(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

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御理解 第3




天地金乃神と申すことは 天地の間に氏子おっておかげを知らず

神仏の宮寺 氏子の家屋敷 みな神の地所 そのわけ知らず




方角日柄ばかり見て無礼いたし 前々の巡り合わせで難を受けおる

この度 生神金光大神を差し向け 願う氏子におかげを授け




理解申して聞かせ 末々まで繁盛いたすこと

氏子ありての神 神ありての氏子 上下立つようにいたす




末々迄繁昌致す事 とありますおかげは

神と氏子の助かりにならねばなりません




天地との調和そして交流

そこからはじめて生みなされるおかげの世界が開かれます




即ち 神人共栄の世界です

究極 神の願いとされるところは ここにあるのです




神の願いが氏子の上に成り 氏子の願いが神願成就に至る時

神人交流の歓喜の世界は開かれます




今日は ある世の人々からは

お叱りを頂くかもしれません 反論を頂くかもしれません




そう言う様な事を 朝頂いた様に思います

しかしこの なる程それでも仕方が無いのだと思いましたのは




師匠の御理解 ミニ御理解に

天地との調和と有ります そして交流と




また神仏の宮寺 氏子の家屋敷 みな神の地所と

教祖様は仰って居られます




みな神の地所と なる程この御教えを頂き元気を頂きましたので

お話しさせて頂きますが




いわゆる砂漠を緑に変える と言う様な運動が有りますね

その不毛の土地と言う所に灌漑施設を作り




そして緑の大地へと変えようと言う運動です

それによって沢山の人が助かる




確かにそう見えますね

ところが今日頂きますのは




それは環境の破壊だと

いわゆる自然環境の破壊だと言うふうに頂きました




人間にとっては その砂漠が そこに水が流れて来て緑が茂って来る

そして住み易くなる 人間にとっては素晴らしい事ですね




しかしもう一つ大きな いわゆる天地と言うのでしょうかね

そこから見ると それは環境の破壊だと言うのですね




言わば地球を一つの庭としましょうか 神様が庭を愛でて居られると

そしてその庭は緑の所も有れば 枯れた所も有る




枯山水ではありませんけれども 緑豊かな箇所も有れば

水の無い砂漠の様な所も有る訳ですね それで良いのだと




言わばそれでバランスが取れていると言うのでしょうかね

一面が緑ばかりであったのでは興が無い訳ですね




その山あり谷あり川があり豊かな緑の大地があり

またこちらには水のない砂漠の様な所も有る




そう言う全てのバランスと言うのでしょうか そう言うものが有って

いわゆる庭としての風情が有るのだと




その折角のいわゆる砂漠としての風情 そこにそれを緑に変えてしまう

それではある意味風情が無くなると言う事なのですね 




確かにそこに人間が住みこもうと言う

後から入って来て 人間がそこに住んで




それを緑に変えてしまおう と言うのは

人間中心の生き方である訳ですね 




神様と言うのか その天地と言うのか

もっと大きなものを見ていないと言うのか




ある意味我情我欲の産物でもある訳ですね

ですからその辺が いわゆるなる程神様のお土地だと




この砂漠でさえも神様のお土地だ

神様の御都合あって砂漠にして居られるのだ




と言う所をしっかり認識した上で

それでも緑に変えさせて下さいと言った様な




そのもう一つ神様との

天地との調和を頂きながらその事業を推し進める




言わば神様のお許しを頂きながら

そこは緑にしてもよかろうと




言う事であるならば

それはそれで良いのかもしれません




しかしいきなり人間がここは全部緑にしてしまおうと言って

人間の勝手で人間を中心にしてしまう




それは何と言うのでしょうかね

土足で踏み込んで来て全部を変えてしまう様な




正に自然環境の破壊だと

神様から言われても仕方が無い事かもしれませんね




この天地との調和 そして交流

神様と私どもとの交流の上になされたもの




神様のお許しを頂いてさせて頂くものならば

それは良いのかもしれませんけれども




ただ単に人間を中心にして

砂漠を緑に変えようと言う計画は環境の破壊だと




そう言う事になってしまいかねないと言う事ですね

心してそれこそこの地球は人間のものだけではない




正に神の地所なのだと言う事

神様のものなのだと言う事




そこを履き違えてしまいますと 一見良い事の様に思える事が

実は大変間違った事をしている と言う事にもなりかねませんね




干拓事業と言うのが有りますが

これなども大変際どい所では有りますね




よくよく神様との交流の上になされるものでなければならない

と言う事ですね




人間中心の生き方から 神様中心の生き方へ変わる

それが真の信心だと言われますけれども




知らず知らずの内に人間中心の生き方を

推し進めている様な事が有りはしないかと




これは人類全体の上においては有りがちな事ですね

神様中心の生き方をする人々が増える事が望まれる訳ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年4月29日金曜日

師匠大坪総一郎師は一切を自らの改まりの材料として行かれた (2022-04-29)

 今日も和賀心学 (2022-04-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の基本姿勢は、郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも皆んな私が悪いのです、と言う生き方です。一切を自らの改まりの信心の材料として行かれたのです。それを純粋に頂くならば世の争い事もその責任は私に有る事になります。争いを止めさせる為に誰彼をどうこうするのではない事が分かります。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 355頁)


ビデオ: https://youtu.be/xd0JtgizPXY

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中原博信

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御理解 第54




徳のないうちは心配する

神徳を受ければ心配はない




損得を任せ 生死までも神さま任せになれた時の状態が

心配はない の時である




神徳を受けるということは 神を信じ神に信じられる事である

私共の場合あまりに心配なことが多い




そこに信心の精進が求められるのである

不思議に不安から安心の世界が開かれ




闇の世界から光明の世界に移り住むことが出来る

既に神徳の世界である




損得を任せ

生死までも神様に任せた時と




その確かに神様任せ 一切を神様に任せる事が出来たら

これ程有難い事はない 心強い事はない




また助かりの境地と言えるのでしょうけれども

中々私ども神様に任せ切らない所が沢山有りますね




その確かに自分の身の上に起こって来る事ならば

神様に任せ切る事も出来よう




しかし人様の難儀を見た時に

それとても神様任せになれるか と言うと中々難しい所が有りますね




自分の難儀は受ける事は出来る




けれども人様が受けている難儀をそのまま見過ごす

と言う事が それで良いのかどうかと言う事ですね




この辺になると大変微妙な所だと思います




もしその人様が難儀な目に遭っている

その難儀な目に遭っている事で その人が育つと言う事




その事が明らかにそうならば

師匠も申して居られます様に




ああ良い所を通っているな

この事でこの人がまた信心を一つ進めてくれるな




心をまた育ててくれるなあ

とそう思える




またそのお手伝いが 例えばその方が心が育つ事の為の

その難儀を通してその心が育つ そのお手伝いが出来るならば




それは良い所を通っているなあ

で 良いのだと思いますけれども




その難儀な目に遭っている人が 心を育てるその手立ても知らない

難儀が難儀で終わってしまう




そしてその方達に 難儀によって心を育てると言うその手立てを

教える事も 伝える事も出来ないとすれば




その方達は難儀が難儀で終わってしまう訳ですから

そう言う事を見過ごすと言うのは やはり心苦しい事ですね




その十分に心を育てる手立てを知っている人 習得した人達

或いはその事を習っている人達に対しては その難儀な姿を見ても




良い所を通っているな これで信心になるな

より一層神様を信じる心が強くなるだろうな




心を愈々育ててくれるだろうな

と放って置いても良いと言うのでしょうかね




しかしそう思える人は中々居ませんね

やっぱり難儀が難儀で終わってしまう人が多いですね




そう言う人達には

どう対処したら良いのか




やはり目先の難儀を取り除いてもらう事も

やっぱり要る様な感じが致しますね




神心と言うのをどこまで発露すると言うのか

大変微妙な所が有りますが




師匠の信心を純粋に頂くとするならば やはり

電信柱が高いのも 郵便ポストが赤いのも 皆な私が悪いのです




と言う生き方であり

心一つですべてをつくる




例えば今目の前の人が難儀な事に遭っている

これとても実は私の責任ではなかろうかと言う事になりますね




そしてまた師匠が 師匠の

私の有難いと言うその余波で人は助かる とも仰って居られます




してみるとそこに 自分の周囲に難儀な人が居る

これは未だ私の有難さが足りないのだ




有難いと言う余波で人が助かると言う事にはなっていない

と言う事にまた気付かねばなりませんね




大変極端な話ですけれども

世の中に争いがあって居ります




その争い事をどうしたら止める 止めさせる事が出来るだろうか

誰が止めさせる事が出来るだろうか




どういう手を使ったら止めさせる事が出来るだろうか

色々考える人は多いですね




でも人間中々難しい所が有ります

窮鼠猫を噛むと言う様な事も有りますし




人間 やけのやん八と言うのでしょうかね

になったら何をしでかすか分からない




いわゆる常識では考えられない様な行動に出る事も有ります

どうしたら止める事が出来るだろうか




誰が止める事が出来るだろうかと考えている間は

これは信心ではないと言う事になりますね




これはそれこそ私の信心不足だと

郵便ポストが赤いのも 電信柱が高いのも




世界各地で戦争が起こっているのも

これは結局私が悪いのだと




私の有難さが足りないから人が助からないのだ

こう言う事になっているのだ とその戦争責任は私に有る




と本気で師匠の信心を身に着けようとすれば

そう言う事になりますね




誰彼をどうこうして戦争を止めさせる事を

それは出来ない 難しいですね




これはそれこそ この事を通して私の心を磨いて行こう

私の心をそれこそ愈々有難い心を目指そう




そしてもし可能であるならば

戦争をなくす為に神様が働いて下さる様な




神様を動かせれる様な私になろう

と自らを磨いて行くと言うのでしょうか




改まって行くと言うのでしょうか

信心を向上させると言うのでしょうか




そこにエネルギーを持って行くのが

やっぱり一番正解である様に思いますね




その力ある者の祈りと 神様に信じられる者達の祈りでなければ

神様はやっぱり聞いて下さらない訳ですからね




先ずはこの 世の争い事 これは結局私の改まりの材料と頂くのが

一番師匠の信心に純粋に合っているのではないでしょうかね




戦争を止めたい 止めさせたい 平和な世界を実現したい

ならば自らの信心を高めて行け と言う事になりますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年4月28日木曜日

自らの心の成長に焦点を定める時大概の難儀は無くなる (2022-04-28)

 今日も和賀心学 (2022-04-28)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、火の車作る大工はなけれども、己が作りて己が乗るなり、と頂いた。これは師匠大坪総一郎師が教えて下さる、心一つですべてをつくる、と同一義だと思う。難儀も難儀と思う心を自らが作り出しているのである。人生の焦点をどこに定めるかで決まる。自らの心の成長に焦点を定める時大概の難儀は無くなる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 107頁)


ビデオ: https://youtu.be/MBxKZbXMY44

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/04-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-04-28.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




神信心のなき人は

親に孝のなきも人の道を知らぬも同じことぞや




信心するなら拝むだけ参るだけでなしに

信心の道を習い行い行じて おかげの道を体得し




世の中のほとんどの無信心の人達に

教え導いてゆかねばならぬ




みちびきの 親になるこそ 尊けれ

人も助かる 神も助かる




人も助かる 神も助かる

その人の助かり どうしたら人が助かるのだろうかと




中々助かり難い私どもである訳ですね

世の中に難儀が有る




そのどうしたら人が助かるだろうか

私どもがどうしたら助かる事が出来るだろうかと思います




その助かると言う事 或いは難儀と言う事

今朝は心中祈念の時に師匠が教えて下さる




火の車 作る大工は なけれども

己が作りて 己が乗るなり




と言うその あの御教えを改めて頂きました




火の車 作る大工は なけれども

己が作りて 己が乗るなり




その難儀と言うのでしょうか

やっぱりこれは自らが作り出しているのだと言う事ですね




誰彼が作り出しているのではない

それは自らの心の中に自らが作り出して 自らが乗っているのだと




言う事になりますね




これは師匠がそれこそ

心一つですべてをつくる と教えて下さいます




だから心一つで全てをつくるのだから

心一つで全てを壊す事にもなる




用心しなさいよ

と言う事なのですけれども




正にその心一つで全てを作るの反対の

心全てで 失礼 心一つで全てを壊すと言う




その 火の車作る大工はなけれども 己が作りて己が乗るなり

己の心で難儀を作り出している と言う事でもあると思いますね




自らの心の中に 自らの心で難儀を作り出している

ではその自ら作り出す難儀を止めるにはどうすれば良いのか




己が作り出すと言う火の車を作らずに済むには

どうすれば良いのか




師匠は私の辞書には難儀と言う字は有りません

と仰って居られましたけれども




だからと言って師匠の上に

それこそ病気が無かったか




いわゆる貧乏が無かったか と言うと

やはり傍から見ると有られましたね




傍から見て なる程病気災難と言う様なものが有るけれども

師匠の心の中には病気災難がお有りにはならなかった




それこそ傍から見たら火の車の様に見えるけれども

師匠の心の中には それはもう火の車ではなかった




寧ろ有難い世界であった

と言う事になるのかもしれませんね




ですから例えば極端な話ですけれども




私どもはあのホームレスの方達を見ると 大変だろうな

早く抜け出されたら良いのにな と思いますけれども




若しかしたら案外 中には そのホームレスの生活を

楽しんで居られる方達が居られるかもしれませんね




分かりませんけれども そうかもしれません

傍から見たのでは分からない世界 心の世界が有ると言う事ですね




ではどうしたら

その心が助かる事が出来るか




それこそ 傍から見て難儀だろなあ

大変だろうなと思う様な事の中にあっても




心を それこそ元気な心で助かって行く事が出来るか

正に心一つですべてをつくる 心一つで我が身を助ける




確かそう言う御教えが教祖様の御教えにも有りましたね

我が心で我が身を救い助けよと 言う御教えでしたかね




そう言うのが有りましたね

自らの心一つで自らを救い助ける事も出来ると言う事ですね




心一つで 火の車を作る事にもなれば

その心一つで それこそ天の上までも登る心を作る事も出来る




やはり私どもの心一つだと言う事ですね

そこに行き着きますね




ではどう言う心を持てば その助かる事が出来るのか

いわゆる難儀な心から抜け出す事が出来るのか




今朝頂きますのは これはいつもの事ですけれども

自らの心を磨くと言う事 育てると言う事 そこに焦点を定める事だと




この事によって心を育てよう 心を磨いて行こう

とそこに焦点を定めた時に いわゆる難儀から抜け出す事が出来る




と言うのでしょうかね 難儀性と言うのか

難儀だと思う心から脱却する事が出来ると




その事がもう難儀ではなくなる訳ですね




その事によって心を磨く事が出来る

その事によって心を育てる事が出来る




この事によってまた一つ大きくなる事が出来る

この事によってまた一つ豊かな心になる事が出来る




言わばその事によって土の心を身に着ける事が出来る

天の心を身に着ける事が出来る 日月の心を身に着ける事が出来ると




その言わば心を育てる事に焦点を定めるならば

今難儀だと思うている事が いやこれは実は難儀ではなかった 




この事によって心を磨く事が出来る




と寧ろ向こうへ押しやりたい様な心が有ったものが

寧ろそれが有難いものとして頂けれる様になる




私どもが そのどこを目指しているか




師匠がよく 楽をしたい心に楽は無く

楽はせんぞと言う心に楽が有ると 教えて下さいますね




私どもがそれこそ人生の焦点

この世に生まれて来たその焦点をどこに定めて




どこに向かおうとしているか




それによって今起こっている事柄 今 身の上に有る事が

難儀と見えたり 有難いものと見えたりする訳ですね




それこそあれは何ですか スポーツ選手ですか

スポーツ選手がよく先ず走り込みと言うのか よく走られますね




走って足腰を鍛える そのスポーツを上手になろう

良い選手になろうと言う人にとっては




走ると言う事が楽しいと言うのか

何と言うのでしょうかね せねばならぬ事としてする事が出来る




寧ろその走る事によって足腰が鍛えられる

そこに喜びを感じる様にもなるのかもしれませんね




しかし一方私どもの様にスポーツに興味の無い者

じっとしといた方が楽だと言う者にとっては




走れと言われたら もうこれは苦痛でしか有りませんね

私どもがどこを目指しているか どこにフォーカスを置いているか




それによって その事が難儀であるのか

いやこれは有難い事であるのか と言う事が分かれると言う事ですね




確かな所に 確かな所の人生の目的

と言うものを認識して




そこに確かに焦点を定める時に

いや難儀が難儀ではない これは有難い事だったのだと




言う事にも変わって来ますね




私どもの焦点がどこに定められているか

そしてどこに向かおうとしているのか




それによってその助かりの世界と言うのでしょうかね

助かり具合と言うものがまた変わって来ると言う事でも有りますね




大概の難儀と言うものは

私どもが自らの心を育てよう 自らの心を磨こう




それこそ天の心を 地の心を 日月の心を身に着けよう

この事で土の心をマスターしよう とそこに焦点を定める時に




大概の 全部とは言えませんけれども

大概の難儀は無くなると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます