今日も和賀心学 (2021-11-22)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、子孫までも残るものは神徳と仰せられるけれどもその神徳は決して露出してはいないと教えて下さった。その師匠の神徳を使いたいなら、やはり掘り起こして探し出さなければ使えない。どうやって掘り起こすのか、それは師匠への帰依であり、祈りへの確信、教えへの確信だと頂く。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 410頁)
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合掌
中原博信
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御理解第72節
人間を軽う見な
軽う見たらおかげはなし
軽う見たらおかげはなし と言われるのですから
大切にする心におかげがあるということになります
大切にするとは
その個性を尊重するということです
大根に人参の赤きを求めず
人参に大根の白きを迫らず
牛蒡にその黒きをたたえ 蕪菜にその青きをほむ
自然の心 寛きかな 信楽216節
大切にせずにおれない心の根元は寛き心です
寛 ウかんむりは 宇宙のこと
草かんむりは 自然ということ
天地自然の働きを神の働きと見ることこそ
寛大な心である
軽う見たらおかげはなしと
ですから師匠は 軽う見られたら
軽う見た人がおかげが無い事になるから
なる程自分が人を軽う見る事が無いと言う事も大切な事だけれども
人から軽う見られる事が無い様にもしなければならないと
軽う見られる事によって
その相手の 軽う見た人がおかげを落としてしまう事にもなるから
と御理解して居られましたね
自分が人を軽う見る事の無い様に
そしてまた人様からも軽う見られない様に
精進すると言うのでしょうかね
心がける事が大切だと
何とまぁその心配りの素晴らしい事だと
思いますねぇ
ある修行生が布教に出られる時に
あなたは自分の前に鏡を立てて行きなさいと
そして自分の姿を
その鏡を見て行きなさいと言う事だと思います
そしてまた師匠は 私は後ろにも鏡を立てていたと
御理解下さって居られましたねぇ
中々 自分の前に鏡を立てる
と言う事は有りますけれども
その自分の後ろにも鏡を立てる
と言う事は中々難しい事だろうと思いますねぇ
心配りと言うのか やはり余程の精進が要ると思いますねぇ
それは人様がおかげを落とされると言う事の無い様に
と言う事だと思いますねぇ この軽う見られない様にと
言う事と相通ずるものが有る様に思いますね
今朝はもう一つ師匠が 御徳ですか
御神徳はそれこそ子孫までも残るものは神徳じゃ と
なる程神徳は子孫まで残る
しかしそれは決して露出しているものではない と
確かに先祖の徳と言うものが子や孫の代にまで残る事は有る
けれどもそれは決して その目の前に露出しているものではないと
その先祖伝来と言いましょうかねぇ 親の徳を子供が使おうとする
孫が使おうとする その為にはやはり掘り起こさねばならない
と言うのでしょうかねぇ
隠されているものだと 隠れているものだと
決して代々御神徳が伝わると言うけれども
それは露出はしていないよと 隠れているよと
だから掘り起こすと言う作業が要るんだよと
言う事を仰って居られました
その事を今朝は大変実感させて頂いて居ります
実は昨日 師匠 初代のそのお話等を
ポッドキャストに出させて頂いて居りますが
その元となるデータを探していたのですけれども
それが迂闊に消えている事に気が付きました
先月の暮れに OS をアップデートさせて頂いた時に
実は随分古いところの OS だったのですけれども
それを最新型に変えたものですから
セキュリティの関係で無くなっていた訳ですね
いわゆる昔は書き込めたけれども
今は書き込めない領域に置いてあった訳です
その昔は書き込めたけれども
今は書き込めないと言う
そのセキュリティの厳しくなったその最近のOSでは
無くなっていた訳です
その昔のセキュリティの緩い所に
書き込まれていたデータが
今そこがセキュリティが厳しくなって書き込めなくなり
無くなっていた訳です
それこそ今まで有った そのポッドキャストにアップロードしていた
データが全部無くなってしまっていたと言う事なのですね
迂闊にバックアップを取っておらずに
アップデートしてしまったものですから
全部消えてしまったと言う訳です
ところがそれでも腑に落ちないと言うのか そんな事はなかろうと
どっかに自動的にバックアップしてあるに違いない と
それこそ執拗なまでに探しました 目には見えないのです
ところが或るひょんな事から それが有りそうだと
消えてはいなかったのですね いわゆる隠されていたのです
隠しフォルダと言う所の中に
データが移動されていました
普通の見方ではとても見付からない所ですけれども
ある特殊な操作をすると出て来る
そこに置いとけば普通いわゆる書き込む事などが出来ないのですね
そこに保管されている事が分かりました
それで今日どこかに移動せねばと
思っているのですけれども
その事を通して
今朝心中祈念の時に いわゆる師匠が
御神徳と言うものは子々孫々に伝える事が出来る 残るものだと
しかしそれは決して露出しているものではないと
言わば私はそのアップデートで
代を重ねて新しい代にした訳ですね
ところがその新しい代になると
昔の物がセキュリティが甘いと言う事で隠されてしまう
隠れてしまう訳です 隠れてしまった訳ですね
言わばなる程御神徳もこう言うものであろうと
代を重ねる事によって
その御神徳が隠されてしまう 隠れてしまう訳ですね
有るのは有るのです 御神徳は先祖伝来と言うのでしょうかねぇ
代々の御神徳が消えてはいない 有るのは有るのです
しかしそれが露出はしていない 使おうと思っても直ぐには使えない
掘り起こさなければ使えない訳です
師匠の御徳と言うものも それは師匠から代を重ねて弟子へ
或いは子や孫へ伝わってはいる
伝わっていると言うよりか 残されてはいる
しかしそれはそのままでは使えないと言う訳ですね
掘り起こして使わなければ
隠されているのです
ではどうやってその隠されている御神徳を掘り起こし
また自分のものと言うのか 使わせて頂く事が出来るのか
そこが問題ですね 子孫から残された御神徳を
師匠が残して下さったその御神徳を
さあどうやったら見付け出す事が出来るか
そしてそれを使う事が出来るか
今朝頂きますのは
それは帰依の心だと 師匠への帰依の心である
そしてまたその師匠の祈りへの確信 そしてそれは教えへの確信
昨日の続きの様になりますけれども
その師匠への帰依であり 師匠の祈り 教えへの確信
それが師匠の隠された御徳と言うものでしょうかね
それを それを掘り起こしてまた使えるようする
その師匠の御神徳がそこに現れて来る
師匠の神徳を露にするもの 現すもの
それは帰依であり 祈り 教えへの確信だと言う事なのですね
決して師匠の御徳が有る けれどもそれが
代を重ねるごとに隠れていると言うのか 隠されている
そのままでは使えない
掘り起こさねばならないと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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