今日も和賀心学 (2021-11-03)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は一にも神様二にも神様三にも神様四にも五にもと神様一途の方であられた。正に神様と相思相愛の御方であられたと思う。その師匠の御教えの一つに、神様が悋気されると言う表現がある。神様がやきもちを妬かれると言うのである。取次者が趣味等に心を奪われ現を抜かしてはならない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 380頁)
ビデオ: https://youtu.be/T7409KJo-eA
音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-11-03.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御理解第62節
昔から 人もよかれわれもよかれ
人よりわれがなおよかれというておるが
神信心をしても わが身の上のおかげを受けて
後に人を助けてやれ
神信心も手習いも同じこと 一段一段進んでゆくのじゃ
にわかに先生にはなれぬぞ
今までの過去の宗教観念 道徳観念 常識観念をかなぐり捨てる
そこから金光教の本当の助かりが得られる
我身の上のおかげを受けて
後に人を助けてやれ とは
まず教祖の御教えが人間の助かりの最高理念と
信ぜられる所まで高めて行け
合楽理念は
その手掛かりを説く
師匠が宗教観念 道徳観念 常識観念をかなぐり捨てる
と教えて居られます
師匠が語られる事 教えて下さった事
これは普通の宗教家ならばこう言う事を言われないだろうな
と思われる様な事を教えて下さって居りますね
その中の一つについてお話しさして頂きたいと思うのですが
常識ではとても思えない様な事ですね
師匠の神様に対しての向かい方 それは
一にも神様 二にも神様様 三にも神様 四にも 五にもと
徹頭徹尾神様に向かって行かれたと
言う事ですね
そしてまたそれはどう言う事かと言うと
神様もまたそうであったと言う事ですね
師匠の表現の中に 神様が悋気されると言う表現が有りますね
神様がやきもちを妬かれると言うのです
それは師匠が神様に惚れられた
また 神様もまた師匠に惚れられた
そこに師匠の心が他のものに動くと
そこに悋気される やきもちを妬かれる
と言う表現をして居られましたね
これは心を奪われると言う表現が有りますね
その心を奪われると言う事が 人に心を奪われたり
例えば稽古事であったり 物であったり そう言うものに
この絵に心を奪われると言った様な事が有りますね
そういう言わば師匠の心が何かに奪われると言う事を
神様はお嫌いなさった様ですね
その一つに
師匠がその三味線ですか 三味線 昔お好きだった様です
稽古事ですね その事をまた始めようとされた時に
その三味線の糸ですか がプチっと切れたと
それ以来師匠は あっこれは神様から嫌われているなと言うか
止めろと言う事だなと それ以来三味線を持たれる事はなくなったと
いわゆる稽古事をすると言う事
その稽古事に師匠の心が奪われる訳ですね
その分 神様事が疎かになると言うのか
神様を思う心が希薄になる訳です
言わばある意味神様がその稽古事 三味線に悋気されたのだと
そう言う表現だと思いましたね
ですからこの神様が惚れられると
神様の方だけに心を向けてくれよと言う神様の様ですね
一にも神様 二にも神様 三にも神様
四にも 五にも 六にも神様 神様と神様一途と言うのでしょうかね
そうあって欲しいと言う神様だと言う事ですね
ですから愈々神様との仲が密に成って来ると
取次者がいわゆる普通 あなたの趣味は何ですかと聞かれると
私の趣味は何々ですと答えたり致しますけれども
取次者に趣味等が有って良かろうはずはない
と言う事になりますね
取次者が何かに現を抜かす 何か好きだと
そう言うものが有って良かろうはずはないと言うのが
師匠の まぁ厳しい所と言うのか 本筋の信心姿勢
神様に対する姿勢だと思いますね
ですからその師匠が他の事に 神様以外の事に心を向ける
心を奪われると言う事を神様は大変お嫌いなさった
と言う事でもありますね
これは勿論師匠の心が人に向かう事であったり
そう言う稽古事であったり
いずれにしろ神様以外の事に心を向けられる
心を奪われる事を神様は悋気されたと言う事ですね
これはよくよく思うて見なければならない事ですけれども
そう言う神様だと言うことですね
そこから当然 私どもの取次者の有り様と言うものが
伺い知れると言うものですね
これは勿論 取次者が子供や家族の事や
そこに凡情が強過ぎてはならない いわゆる過ぎてはならない
子供の事に心を奪われておったり
家族の事に心を奪われておったりする事が
神様がやはりお嫌いなさる
と言う事になりますね
こう言う事などは常識観念からすると
一寸考えられない事ですけれども そう言うものだと言う事ですから
これはもうなる程そう言う神様なのだと
理解する以外有りませんね
神様が悋気なさる もっとも神様が悋気される程しに
惚れられればの話でしょうけれどもね
神様から惚れられてもいない 何とも気にかけてもらう事も無い
そう言う神様と相思相愛の仲にも成っていないと言う人達にとっては
どんな趣味をしようが 何かに現を抜かそうが
全然関係無いと言う事かもしれませんけれども
一度神様との間に相思相愛と言う様な間柄が有るならば
神様は大変悋気される事が有ると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿