今日も和賀心学 (2021-11-01)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心は有難さの追求とも教えて頂く。今朝は、信心は有難さの内容の追求と頂いた。例え 1日に 3000回有難いを言う稽古をしても、自分の私利私欲我情我欲を満たす時、自分の都合の良い事にのみ有難さを感じる様では真の有難さは育たない。神様の大愛を感じ神様の御働きに有難さを感じる心が育たねば。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 349頁)
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合掌
中原博信
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御理解第52節
信心する者は驚いてはならぬ
これから後 どのような大きな事ができてきても
少しも驚くことはならぬぞ
何時どのような事が起きても
それはどこまでも神さまの間違いない働き
金光大神御取次の圏内にあることと解っていても
吃驚仰天するような事がある
驚いてはならぬ と仰せられるが
そこは凡夫のこと 少なからず心は動揺する
そんな時は神さまに心を向け 心を鎮める願いをする事である
神さまは少しも驚いていぬかのような おかげを下さるものである
出来ずとも出来たかのようにおかげを下さる
金光大神のおかばいがあるからである
驚いてはならぬと言う御理解ですね
昨日も同じ御理解でしたね ここを頂き それこそ驚きました
驚いてはならぬと仰せられますけれども
驚かずには居れない様な御働きを頂いて居ると思いますね
不思議な働きをやはり頂くものですね
その驚いてはならぬと言われるけれども
驚かずには居れない様な働きを頂いている
正に神様の御働きを頂いていると思わずには居れない
そこに有難さを感じる
神様の御働きを頂いて居ると言う事に有難い
と言う訳ですね
信心は有難くなる稽古と言われます
また有難さの追求とも言われると思いますね
そしてやっぱり有難い 有難い
有難くなろうと言う稽古を致します
中には一日千回有難いを唱えると言うのか
何を見ても聞いても何をしても有難い
それこそ驚く様な事が起こって来ても
有難いと言い続けると言うのでしょうかねぇ
例え有難くない様な事が起こって来ても 有難いと
鴨居で頭を打っても有難いと
とにかく有難いの権化と言うのかどうか分かりませんけれども
一日千回 或いは一日三千回と仰る先生も居られる様ですけれども
今朝はそれを 有難さの追求ではなく
有難さの内容の追求と頂きました
その有難さの内容を追求して行かねばならない
と言うのですね
例えばその有難いと言うものが
私利私欲や我情我欲の願いと言うのでしょうかね
それが満たされる そこに有難さを感じる
自分にとって都合が良い事が起こって来る その事を有難いと思う
また 有難い 有難うございますとお礼を言う
それらが自分の都合の良い事になるから そこにお礼を申す
勿論その自分の都合の良い事になると言う内容も問題でしょうけれども
それがいわゆるただ単純に私利私欲我情我欲を満たす事
それが自分の都合の良い様になると言う事においての有難い
儲けたから有難い あれが食べられたから有難い
自分の願いが叶ったから有難い
自分の都合の良い様になったから有難いと言うそこに有難さを感じる
その世界に留まっていたのでは信心が堂々巡りになってしまう
その有難いと言う世界が広がって行かない
例え一日千回有難いを唱えたとしても
三千回有難いを唱えたとしても
自分に都合の良い事だけに有難い
有難さを感じると言う事では
そのいわゆる真に有難しと言う心 直ぐに霊験の始めなり
と言われる様な 真に有難しと言う心は育って来ないと言うのですね
それは おかげは和賀心にあり
と言われるから
その おかげは和賀心にありを千遍万遍唱えたからと言って
和賀心にはなれないのと同じですね
私どもの有難いと感じるその内容が
育って来なければならない
我情我欲が満たされる 自分の都合に良い事だけに有難さを感じる
そう言う信心では 真の有難さは育って来ないと言うのです
その有難さの追求
その有難さの内容を追求して行かねばならないと
神様が御働き下さっている
それこそ今の自分にとっては都合の良くない事だけれども
それでも神様がそこに働いて下さっている
その神様が働いて下さっている事に有難さを感じる
右と願えば左となる その左となるのだけれども
そこに神様が働いて下さっている事を感じる
そこに有難さを感じる様にならなければならないと
言わば神様の小愛と言うのでしょうかね
私どもの願い通りに事が運ぶ 都合の良い様になる
言わば神様の小愛とでも言うのでしょうか
そこに有難さを感じる世界から 私どもの願いが願い通りにならない
右と願っても左となると言う様なもっと神様の大きな愛が成就して行く
私の願いが成就していない時は神様の願いが成就している時だと
その神様の大愛 神様の方がもっと大きな長い目で見て
私の本当の幸せを 何と言いましょうかねぇ
幸せの世界に導き入れようとして下さっている
例え今は都合の悪い事でも きっとこれは神様の大愛の現れだと
その神様の大愛を実感出来 その事に有難さを感じる 御礼が申せる
そう言う心が育って来なければならない
と言う事ですね
神様のその大愛に対して御礼が言えれれる様な
その私どもが 有難さの内容の追求をして行かなければならない
その有難さの内容が育って行かねばならない
と言う事ですね
ただ単に自分に都合の良い事が起こって来る事だけに
有難さを感じる様な信心では堂々巡りに終わってしまう
どうでも私どものその有難さの内容を追求して行かねばならない
神様の大愛を感じる所から 神様の御働きを感じる所から
そこに例え都合の悪い事であっても 有難い
神様の御心が有難いと実感出来れる様な
心が育って行かなければならない
どうでもその有難さの内容を追求させて頂きたいものですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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