今日も和賀心学 (2021-11-10)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝教えて頂くのは、成行きを先ずは素直に受けよと。そしてその成行きの素材をよく味わった上で、より美味しく成る様にその成行きを料理して行く、そこからがその人の信心、腕の見せ所、真心の使い所と言う事に成ると。良い意味での師匠への忖度、神様への忖度がその人の信心をより良いものにすると。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 401頁)
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合掌
中原博信
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御理解第69節
信心はみやすいものじゃが
みな氏子からむつかしゅうする
三年五年の信心では まだ迷いやすい
十年の信心が続いたら われながら喜んで わが心をまつれ
日は年月のはじめじゃによって
その日その日のおかげを受けてゆけば立ち行こうが
みやすう信心をするがよいぞ
好きこそものの上手なれ
信心が好きにならねばならぬ
それには信心の好きな人の話を聞く事
信心の奥処を尋ねる楽しさ 喜ばしさ
我が心に合掌出来る心には限りがない
信心の節目節目を大切に 節から芽が出る枝が出る
今朝教えて頂きますのは
成行きを素直に受ける と言う事を教えて頂きました
色々な成行きが有ります
その成行き ここはこうした方が良かろう
あそこはああした方が良かろうと思う事も有ります
しかし先ずはその成行きを素直に受ける
と言う事が先ず第一だと言う事ですね
そしてそのそこまでの線には
出なければならないと
そしてそこから受けた後 その成行きをどう料理して行くのか
それがその人の信心だと 真心だと言う事なのかもしれませんね
とにかく成行きをそのまま受ける 頂く
これは言わば料理で言えば その素材をそのまま味を見る
その素材の味を確かめると言う事になるのでしょうかね
そしてその後に その素材をどう料理しようか
この成行きをどう料理して行こうか
と言う事に発展して来る様ですね
ですから実は その初代の大阪公開講演会のビデオテープですか
それをなる程 30秒程欠けている
それは当時としては物理的にテープの長さがそうだったから
仕方ない事だと言うのか それが成行きだった訳ですから
それ以上長いテープが当時は無かった訳ですから
その欠けていると言う事も神ながらなものとして
神様の御働きとして それはそれで受けて行く
なる程そう言うものだと 30秒が欠けているものだと受ける
それはそれで受けて行けと
ですからもしそこで欠けていても
それが成行きだから それが神様の働きとして
そのままにして置こうと それを受ける
それはそれで良いのですね
先ず第一段階はそれを受けねばならないと
そこまでは 共通理解と言うのでしょうかねぇ
素直にその事実を受けると言う事だと
それでそのままにして置く
と言うのも一つの方法ではある訳ですね
しかしここからが 氏子の心の見せ所と言うのでしょうかね
そう言う事を感じさせて頂くのですね
師匠がその欠けている部分を継ぎ足しなさいと
補完しなさいと指示された訳ではありませんね
ただ抜けている部分が有るなぁと思われた
そしてここは抜けていると言うお話をされた
それでそこを何とかしなさいと言われた訳ではありませんね
ですからそれはそれでそのまま聞き逃すと言うのでしょうかねぇ
そのままにして行けば そのままでも
それはそれで良い訳ですけれども それも一つの方法ですね
しかしここに これではいけない これはその抜けた部分を
師匠は何ともせよとは そうせよとは仰らないけれども
これは一つ抜けた部分を補わせて頂こう
と言うその思いと言うのでしょうか
その行動と言うのでしょうか それが氏子の信心になると
言わば何と言うのでしょうかねぇ
そのまま受けて行く 素直に受ける
それがプラスマイナスゼロの世界だとすれば
それを いやこれはその抜けた部分を 欠けている部分を補わせて頂く
その方がより師匠が喜んで下さるだろう
またより神様の御心に適うだろうと
ここからは氏子がそう思って 氏子が行動すると言う事ですね
その部分がいわゆるプラスになると言う事ですね
何もしないなら何もしないで良いのです
それはまたそれで良いのですけれども
その部分を より良い より師匠が喜んで下さる
であろうと思う事を積極的と言うのか させて頂く
ある意味忖度と言う所かもしれませんね
政治家の間での忖度は余り良い意味ではありませんけれども
こう言う神様に喜んで頂く 師匠に喜んで頂く為に忖度をする
これは必要な様ですね
そしてその部分が その人の信心であったり
その人の真心として神様が認めて下さると言う事になるようですね
しかし先ずは その成行きを素直に そうとして頂きなさいと
味わいなさいと言う事ですね
そしてその素材の味わいを噛みしめた後に
その素材をどう料理するか どう料理した方がより美味しくなるか
より神様に 師匠に喜んで頂ける事になるのか
と言うそこが言わば弟子の信心の見せどころと
真心の使いどころと言う事になるのかもしれませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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