今日も和賀心学 (2021-11-04)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心は人間の真の助かりを求めてのものだと思う。助かりには概して3つ、肉体的助かり、精神的助かり、霊魂的助かりが有ると思う。そのいずれもが達成せられる道を師匠大坪総一郎師は合楽理念として教えて下さった。それら3つが満遍なくおかげを頂いて行かねばならない。先ずは人間の常識観念を外すこと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 96頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
わが心でわが身を救い助けよ
大きな信心がよい 迷い信心ではいかぬ一心と定めい
不行状があったり迷ったりする時 身も心も救われぬ
一心と定めて信心をつづけて行けば
心も助かり身も救われる
大きな信心とは
偉大な馬鹿と阿呆になることです
馬鹿と阿呆に成れている時は
我が心で我が身を救い助けていける時である
信心を頂いている事がしみじみ有難いと感じられる時
貴方は 信心によって救われ身も助かって行ける時です
信心をすると申します
その信心をすると言うのはどう言う事かと思います
やはり私どもは助かる 身も心も助かる
その事の為に信心をさせて頂くのだと思います
ですからやはりその助かる
それも人間の助かりと言う事がやはり第一だと思います
助かって行ける 助かると言う事が第一だと
では助かると言う事はどう言う事かと言う事になります
なる程自分の願いが満たされる
そこに助かりを感じると言う事も有りましょうけれども
大きく分けて いわゆる肉体的な助かり そして精神的な助かり
またその魂的な助かりと言うのでしょうかね
そう言うものが有る様に思うのです
今日頂きますのは その助かりにも 3つ有ると
肉体的助かり 精神的助かり それと魂的な助かりと言う訳ですね
肉体的助かりと言うのは
いわゆる現世利益的な事ではないでしょうかね
なる程病気なら病気が治る
これはやはり肉体的な助かりだと思いますね
食べるお米が無い それでは死んでしまいます
やはりこの今の世界で生きて行く為には食べ物が要ります
生きて行く命を支える為の最低限の食べ物はやはり必要ですね
霞を食べて生きて行くと言う訳には参りません 食べ物が要ります
いわゆる形の上のおかげと言うのでしょうか
そう言う肉体的な そう言うおかげも要ると言う事ですね
そこに助かりを実感する事が有ります
また精神的な助かりと言うのも有りますね
何か悪い事をする 今まで悪い事だと思って居った
これが悪い事では無かった
これはよく性欲の事なども言われますね
ある宗教等ではこれを断つ様にして居られますね
妻帯が許されないとか
いわゆる断ってしまう これはいけない欲だと
しかしよくよく考えてみると その性欲とても神様が
人間に与えられたもの 持たらされたものと言うのでしょうかね
師匠はこれを御性欲と頂かれましたね
神様から与えられたものだと 人間に授けられたものだと
ですからこの性欲とても忌み嫌うものではない
ただそこに溺れてしまう 過ぎるからいけない訳ですね
我情を鎮め我欲をコントロールする
とも教えて下さいました
コントロールされた性欲であれば
それは神様がそう与えられたものですからね
そう言うものとても有難いものだと
言う事になりますね
また魂的な助かりと言う事も有りますね その魂的な助かり
これこそは天地日月の心になること肝要なりと言われる
私どもの いわゆる生神を目指しての精進と言う
その魂を磨くと言う所になるのではないでしょうかね
それこそ罪でもないものを罪と思い
汚れでもないものを汚れと思う
そこに精神的な苦しみが生まれて参りますね
人の精神が助かる 為には本当の事が分からねばなりません
より真実の事を分からせて頂く
そこに精神的な助かりを得る事が出来る
もう一つ今朝頂きますのは
やはり人間を苦しめている それは常識観念だと
その常識観念 人間の常識観念と
それは神様の世界では通用するものではない
人間の常識観念と神様の常識
神様の世界での常識とは違うと言うのですね
泥棒さんが居られます 人間社会では許されません
人の物を取る 許される事ではありません
しかし神様の世界から見れば
全てのものが神様の御物と言う事であってみれば
ただそれは Aの地点から Bの地点へ物が動いたと言うだけだと
置き場所が変わっただけだと言う事ですから
神様の目からご覧になれば
そう大して悪い事でもないと言う事になる訳ですね
私どもが勿論 この世に生を受けて居ると言うのですから
肉体的な助かりを頂く そしてまた精神的な助かり
そしてまた霊的と言うのでしょうか
魂的な助かり を頂いて行かねばなりません
その為に 先ずはいわゆる特に精神的な助かりの為には
人間の常識観念が神様の世界では通用しないのだと
また全く違うのだと言う事が
先ず分からなければならないと
先ずはその人間の常識観念を捨てなければ
いわゆる精神的な助かりを頂く事は出来ないと言う事なのですね
そしてそのまたいわゆる教えを行じる
心を 豊かに大きくなる事に精進する
そこに魂が助かって行く
と言う事に成るのではないでしょうかね
現世利益的なおかげも頂かねばなりません
精神的な助かりを得なければなりません
そしてまた 私どもの魂を磨いて行かねばなりません
そこに初めて人間の真の助かりが得られる
真の助かりの世界に入る事が出来る
そう言うものが 信心の稽古と言われるものではないでしょうかね
先ずは私どもの精神の助かり
その為には常識観念が邪魔をしていると言う事ですね
先ずは人間の常識観念を外す所から
神様は始めて下さいますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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