今日も和賀心学 (2021-11-16)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心を進めると言うことは、頭での理解を進めると言う事ではない。勿論そう言う事も有るには有るが、一番大切な事は、その事柄、成行きを通して神様の御働きを実感する体験を積み重ねる事だと思う。この度の師匠大坪総一郎師の御理解全文検索においても、神様のお膳立てと言うことを強く実感させて頂いた。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 130頁)
ビデオ: https://youtu.be/Iktx1g7oQIk
音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-11-16.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御神訓
信心は本心の玉を磨くものぞや
本心に立ち返るということは
人間 この世に生を享けると同時に神性が授けられる
ところが成長するにしたがい我が芽ばえてくる
神性とは似ても似つかぬ浅ましい苦悩の道へ堕落してゆく
そうした人生の分岐点に立った時
真の道を示してくれるのが真の信心である
真の信心と申します
ただの信心とはどう違うのだろうかと
ただの信心と言うのが いわゆる
私利私欲我情我欲を元にした所の信心 と言うのかもしれませんね
真の信心と言うのは それに対して
真の助かりを目指しての信心 と言うのでしょうかねぇ
真の助かりを元にしての信心
と言う事になるのかもしれませんね
勿論私どもの我情我欲や私利私欲が満たされる
そこに一時的な助かりは有りますけれども
それが永久的な助かり
恒久的な助かりと言う事にはならない様ですね
その如何なる どう言う中にあってでも
私どもが助かっておれれる
それはいつ如何なるどう言う中にあっても
和らぎ賀ぶ和賀心が頂けれると言う事になれば
その真の助かりの世界に
住んでいる事になるのでしょうけれども
どうあったら真の助かりを頂く事が出来るのか
そこには神様のお役に立ちたいと言う思いが育つ事
こう言う事もやはり有りましょうね
また自らの心が育つと言う事
天地日月の心を目指しての自らの心の
あるいは行動の上においてもその改まり
勿論行動を改まると言うその前には
心の内容が改められ
その心の改まりが形の上の改まりとなって起こって来る
と言う事も有りましょうね
中には心の改まりが中々出来ないから
形の上からでも改まっての精進と言うのも有ります
いずれにしろ 改まって行こう
心を改めて行こうと言うその心根の現れである訳ですから
自らの魂を清めよう 心を育てて行こうと言う
その心の現れであると言えますね
そして同時に 神様から守られている私だと
言う事を実感して行く そう言う事が要ると思いますね
いわゆる神愛の中にかばわれ 神愛の中に生かされている吾
と言うものを感じ取らせて頂く
そう言う諸々の中に真の助かりが得られる
と言う事になるのでしょうね
真の助かりを得ると言う事は
何か一つが分かればそれで真に助かると言う事でもない様ですね
オールラウンドに色々な事の中に助かりの世界
助かりの心が頂けて来ると言う事になりますね
それを師匠は合楽理念として
一切合切を包含されて居られる様に思いますね
その 人が真に助かる
為にはその信心を進めて行く
それは一つの 実感する事の積み重ね
がその信心の進歩と言うのでしょうかねぇ
進捗と言うのでしょうかねぇ
には大切だと思いますね
実感の積み重ねですね あぁこうなんだ
ああ神様からかばわれているんだ
神様から愛されているな
と言うその実感の積み重ねですね
今朝は それこそ
神様のお膳立ての中にあるな
神様がお膳立てして下さってあるなぁ
と言うものを心中祈念の時には大変実感させて頂いた事でした
と申しますのは 昨日お話ししました その
師匠大坪総一郎師の御理解全文検索のアプリの配布に関してですね
そのここに至るまでの過程を色々思わせて頂いた訳ですね
いきなりさんぱち今の状態になった訳ではない
その前には色々問題も有った
そしてある方から質問のメールを頂いた
そしてその質問に対して
色々その問題を解決する為に色々な事を勉強させて頂いた
そう言う色々な準備 過程を通って初めて
昨日の結論に至った訳ですね
これは私が意図してそうした訳ではない
一つ一つ神様がそう差し向けられて
それに一つ一つ対応して来た
そしてその結果が昨日の事となった
言わば一つ一つを
神様がお膳立てして下さってあった訳ですね
その神様のお膳立てに
私が乗らせて頂いていたと言う事になりますね
そして昨日の結論に至ったと
ああこれは神様のお膳立てだったんだ と言うのが実感ですね
なる程これは一事が万事に
神様がこうやってお膳立てをして下さってあるのだな
と実感させて頂いたと言う事なのです
このなる程神様がお膳立てをして下さってある
その神様のお膳立ての中にある私なんだと実感する事
これが大切だと言う事ですね
何も御理解検索のアプリが配布が出来たからとか
その事が上手く行ったからとか 問題が有るからとか
その事がどうのこうのではないのです
その事を通して 神様のお膳立ての中に居らせて頂いている
神様が万事にお膳立てして下さって居られる
と言う事を実感させて頂く
それが次の信心になって来るのであろうし またそこに
一切神愛と言う事の確信へと繋がって行くのだと思いますね
なる程何か問題が有ったようだけれども あの問題を感じた時
それでさえも実はあれは神様のお膳立ての一コマだったのだと
万事に神様がお膳立てして下さってあるなあと実感させて頂く
それがやはり大切だと思いますね
この真の道を示してくれるのが
真の信心だと
ここにはもう我情我欲とか
私利私欲が入る隙は無いと言うのでしょうかねぇ
そう言うものとは全く無関係に
神様の方が私どもを導いて下さる
正にそこに真の信心 神様が導いて下さる世界
その神様の導きに乗せられてと言うのでしょうかねぇ
進めさせて頂く世界が有ると思いますねぇ
私どもはそう言う神様のお膳立ての中に信心を進めさせて頂いている
これはひとえに 師匠大坪総一郎師の祈りの中で
信心を進めさせて頂いている
そこには必ず神様の真の信心へと
真の助かりへと導こうとされるお膳立てがあっている
その中で生かされている
信心の稽古させて頂いていると言う事になりますね
私どもがその神様のお膳立てを お膳立てとして 実感として
感じさせて頂く その積み重ねが大切だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿