今日も和賀心学 (2021-11-18)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
この世で知ろうとして知り得ない事は沢山有る。また知り得たからと言って幸福に繋がるとは限らない事も有る。知識欲も過ぎると幸福の世界から遠のいてしまう事も有る様だ。人間の幸福の為に必要な事は必要に応じて神様が教えて下さる事を確信し、要らぬ詮索や単なる過ぎた知識欲には見切りをつけねば。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 196頁)
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合掌
中原博信
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御理解第1節
今 天地の開ける音を聞いて 目を覚ませ
天地の開ける音を聞くために
先ずは耳掃除から始めねばなりません
何か障害になるものがつまっていたり 肝心の鼓膜が破れていては
いかに大音声で叫ばれても聞くことは出来ません
いよいよ研き いよいよ改まり 限りなく美しい心になる精進こそ
天地の開ける音を確かに聞きとることの出来る第一の手立てです
先ず耳掃除から始めねばなりません
と師匠は教えて居られます
神様の仰る事 神様が伝えたいと願われる事
その事をその事として分からせて頂く
その為には こちらが神様が仰る事を聞こう
と言う耳を持たなければならない
そこには常識であったり 様々な観念と言うのでしょうかねぇ
そう言うものが邪魔をする と言う事かもしれませんね
その神様の声を聞こうとすると言うのでしょうかねぇ
神様の御働きに沿うて行こうとする
その邪魔になる心の一つに
知識欲と言うのが有りますね
ある意味 知りたい いわゆる学問などがその知識欲から
発達して来たものかもしれませんけれども
ある意味良いのですけれども
ある意味また悪い事もある
その知ったからと言って人が助かる場合も有れば 知ったからと言って
却って助かりから遠ざかってしまうと言う事も有る様ですね
私どもはとかく知りたいと思います
それは大変素晴らしい事ですけれども
何と言いましょうかねぇ
限界が有ると言う事ですねぇ
何でもかんでも知ろうとするけれども
全てを知る訳にはいかないと
師匠のあれは大阪講演のお話の中でしたか
知ろうとして知り得ないものがやっぱり沢山有るのだと
そしてそれを知ったからと言って
人の真の助かりに繋がると言うものでもない
だけれども知ろうとする
しかしその知ろうとしても知り得ないものが有る
と言う事を先ずは分からねばならないと
神様の御働きなどもそうかもしれませんね
師匠が釘を差して居られますのは
天の心 地の心 日月の心と言っても
その天地の心すべてではないと
天地の心すべてを知ろうとしても 知りたいと思っても
それは無理だと言えば無理なのですね
人間が幸せになる為の天の心であり 地の心であり 日月の心だと
人間が幸せになる為のそれなのだと言う事なのですね
知ろうとして知り得ないものが沢山有る
と言う事を先ず分からねばならん
そして全てを知ろうとしてもそれは詮無い事だと
人間の真の助かりには余り繋がらない
しかし人間にはどうしても知りたいと言う欲ですねぇ
知識欲が有ります これが人の助かりを邪魔をする事が有る訳ですね
それこそ学が身を食う
と言う様な事にもなりかねない訳ですね
その私どもが 例えば見る世界 見えている世界でも限られていますね
見えない世界が一杯ある それこそ真っ暗闇になると見えません
光が ある一定の波長の光しか見えない訳ですから
真っ暗闇だからと言って何も無いと言う訳ではない
音などもそうですね 音が聞こえない
犬笛と言うのが有りますね 人間の耳には聞こえない
特に段々私の様に年を取って来ると
高い音が聞こえなくなるそうですね
ですから YouTube ですか
或いはウェブサイトにテストが有りますねぇ
あなたはどの音まで聞こえますかと
音を出してくれるのですけれども 聞こえない 高い音は
若い人は高い音が聞こえるけれども
年を取るとその高い音は段々聞こえなくなる
これは老化と言うのでしょうか
そう言う視覚器官が聴覚ですか そうなっているので仕方ない様ですね
ですから音楽家の人達はどうして居られるのだろうかと
よく思う事が有りますね
若い内には高い音が出た
出たと言うか高い音が聞こえると言う事ですね
でも年を取ってくればその高い音を出そうとしても
出ていても自分の耳で聞き取る事が出来ない
確かな音程を聞き取る事は出来無くなる
と言う事ですねぇ
その知ろうとして知り得ない世界が確かに有るのだと言う事を
先ず分からねばならんと言う様な事を 今朝は教えて頂くのですね
何もかも分かろうとしても それは無理なのだと
分からない世界が有ると言う事を 先ずは分からねばならないと
そして自分にとって 分からねばならない
自分の幸せにとって必要なもの
それを神様から与えて頂けば
それで良いではないかと言う事なのですね
自分にとって知らねばならないものを
神様から教えて頂けば それで十分ではないかと
それ以上に あれも知りたい これも知りたいと
いわゆる貪る様に知ろうとする
そこに まぁ分からない事が出て来る訳ですから
心が苦しくなって来る訳ですね
必要な事は 必要に応じて神様が教えて下さる
神様が教えて下さらない事は もうそれは知る必要の無い事だと
知る必要の無いものが有ると言うこと
必要なものは
必要に応じて神様が教えて下さると言うこと
その事を確信し 必要の無いものを知ろうとする努力を止める
と言うのでしょうかねぇ
そう言う決断と言うものが要る様ですね
今朝はその 神様が
必要なものは必要に応じて神様が教えて下さると
必要のないものまで知りたいと言う
そう言う欲はいわゆる過ぎたる知識欲
それは捨てた方が人間の幸せの為には良い
と言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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