2021年11月8日月曜日

神様の裏付けの有る信念が確信ともなり、その確信に神様のバックアップが有る (2021-11-08)

 今日も和賀心学 (2021-11-08)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の許で信心の稽古をさせて頂くと言う事は、その知識的な事を学ぶと同時に師匠の信心姿勢を身に着けなければならない。それは今の絶対とも言うべき神様の裏付けを頂いての確信、本当からより真実を求め続ける信心姿勢である。神様の裏付けの有る信念が確信ともなり、その確信に神様のバックアップが有る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 174頁)


ビデオ: https://youtu.be/MTJ-q4y_ToA

音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-11-08.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御神訓




わが身がわが自由にならぬものぞ




生命あるかぎり御用させて頂きたい

の願いが通れば身の自由は許される




自由を許されてあるときに させて頂く 事の喜びを

人の世の為に尽くすこそが神への御礼と心得よ




四代教主様御歌




なすと云へ なし得る条件 恩恵の

なくばなし得ず 何ひとつとして




師匠大坪総一郎師の許で

信心の稽古させて頂く




その師匠の許で信心の稽古をさせて頂く上で

何を学ばねばならないか




色々有ると思いますけれども 今朝頂きますのは

その師匠の信心姿勢を学び 身に着けなければならないと




なる程師匠が教えて下さる知識的な御教えも

勿論必要だと思いますが




例えば一切神愛であったり

成行きを大切に尊ぶであったり




土の心 天地日月の心と言われる様な

または 和らぎ賀ぶ和賀心と言われる




そう言う知識的なものを身に着けて行く

と言う事も勿論大切でしょうけれども




もっと大切な事は

その師匠の信心姿勢だと言うのですね




その知識的な事を身に着けたからと言って

人が助かると言う事には未だなりませんね




勿論知識を伝えて それで相手の人が合点して助かる

と言う事は有りましょうけれども




そこに神様の御働きが現れて助かる

と言う事には未だ至りませんね




それは師匠の信心姿勢を

身に着けていないからだと思いますね




では師匠の信心姿勢

その特徴的なものと言うのでしょうか




それは師匠が本当を求められた

そしてその本当からより真実を求め続けられたと言う事ですね




と同時に確信 その絶対信と言う事を仰って居られましたね

これは信じると言うのでしょうか




これが絶対だと

この生き方が絶対だと




それこそ合楽理念は助かりの理念

これはもう卓を叩かんばかりに絶対だと仰って居られましたね




大地を叩く程しにですか

いわゆるその大確信と言うのでしょうかね




ある先生は合楽理念は役に立ちません

人が助かるには信念ですよと仰って居られた方が居られましたけれども




その信念

表現すればその信念と表現されるのかもしれませんが




師匠の場合には その信念をもう一つ超えた確信

大確信があられたと言う事だと思いますね




成行きへの確信 信念と言う所にはそのいわゆる実証が無くて

ただ信じると言う感じが致しますが




師匠の場合には そこに神様の実証 御働きが有る

そこに大確信を得て行かれる




いわゆる実証を伴った信念とでも言うのでしょうかねぇ

そう言う大確信になって行かれたと言う事ですね




ですからその一切神愛ならその一切神愛

それがこれは神愛だと 間違いなく神愛だと確信して行かれた




今ある状況がおかげだろうか おかげではなかろうか

神様が働いて居られるのだろうか 居られないのだろうか




と言うあやふやな事ではなく

これはもう神様の御働きだと確信する




病気が治った ああこれはお薬で治ったんだろうか

それとももう治るべき時期に来ていたのだろうか




と言うそう言うあやふやなものではなく

これは間違いない 違いない神様のおかげで治ったのだ




神様が治して下さったのだとその事を確信する

その確信力とでも言うのでしょうかね




悩みが有る その悩みを聞かせて頂く

これは間違いない神様の働きだ これはおかげに成る




おかげに成るだろうか 成らないだろうか

ではおかげに成りませんねぇ




これは右になろうと左になろうと間違いないおかげだと

神様のベストの判断でそうされたのだ




これは右になっても左になっても

間違いないおかげだ と言うその確信




確信こそ心の守りであると言う御教えが有りますね

師匠はその確信を持って行かれた また持たれたと言う事ですね




これはそう言われたからと言って 頭の上で分かったからと言って

確信が持てると言うものでもありませんね




やっぱり体験に裏打ちされたものだと思いますね

その師匠の身に着けて居られたその確信




そして本当からより真実を求めるその生き方と言うもの

その信心姿勢と言うのでしょうかね




それを身に着ける 頂いて行かねばならないと思いますね

どうもこの部分が余り 見過ごされている様な感じが致しますね




ただ単に教えと言う知識的なものを受け売りすると言うのでしょうか

そこで止まっている様な感じが致しますね




どうでも神様の御働きへの確信と言うのでしょうかね

それと本当からより真実を求めると言う信心ですね




師匠の大阪講演のビデオが切れていると言う




ここにも この成行きも色々な頂き方

少なくとも今の私には 3つの頂き方が有る




そのビデオテープは切れている それもこれも成行きだ

神様の御働きだとしてそのままにして置く これも一つですね




もう一つは

その後の青年大会で師匠が補完された その部分も付ける




欠けている部分が有ると師匠が仰られた

その部分を付けると言う生き方も有りましょう




もう一つ有るのは その欠けている部分を補完する

と同時に師匠の青年大会での話を付ける




と言う色々な頂き方が有ると思います

私はその 3番目を選ぶのが一番良いのだろうと今確信致します




と同時にそれで欠けている部分に いわゆる写真を差し込みましたら

家内がどうも不自然だと申します




そこで師匠の動きのあるものをそこに入れさせて頂きました

これが本当だと これで写真を入れてこれで良いと思っていた




ところがもっとより真実が有ったと言う事ですね

より良いものになっていると思います




これこそある意味一つの本当からより真実を追求する

そしてそのより真実を追求された所のものを確信を持って行く




絶対信を持つ その折々に今日の絶対信

それがまた明日には変わるかもしれません




しかしその時々に大確信を持って進む

と言う信心姿勢が 師匠はお持ちだったと言う事ですね




そこに神様がバックアップ的な働きを下さる

と言う事も有る様ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿