今日も和賀心学 (2021-11-20)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、神との絆と頂いた。更に、信心とは神の大恩が分かることとも。ただ単に我情我欲私利私欲を満たす事の為に信心をするのではない、神様とのキズナを愈々強く深くする為に信心の稽古をさせて頂くのである。神様の大恩が愈々分かるところに神様との絆も愈々強く深くなる。先ずは神の大恩が分かる稽古。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 350頁)
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合掌
中原博信
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御理解第52節
信心する者は驚いてはならぬ これから後
どのような大きな事ができてきても 少しも驚くことはならぬぞ
真っ暗闇だから不安になる
信心の光がさす時安心が頂ける
神の偉大な働きを実感する時
そこに信心の喜びが湧いてくる その喜びが不可能を可能にする
この52節はよく頂きますね
驚いてはならなぬと
驚いてはならぬと言われますけれども
驚かずにはおれない様な事がやはり起きて参りますねぇ
師匠が神の偉大な働きを実感する時と
やっぱりその神の偉大な働きを実感する時と言うのは
驚く様な事が起こって来た時 その驚く様な事が起こる時に初めて
神の偉大な働きを実感するのではないでしょうかねぇ
尤もここで教祖様が仰って居られる 驚いてはならぬと言うのは
普通の意味での驚いてはならぬだと思いますけれども
師匠が仰るこの
神の偉大な働きを実感する時
もうその時には 驚くなと言われても
驚かずにはおかん様な神様の偉大な働きを実感する
そこに初めて信心と言うのでしょうかねぇ
になると言うのでしょうかね
やっぱり私ども
その困った事が起こって来て驚くと言うのではなく
大変なおかげを頂いているなぁ 神様のおかげを頂いている
と言うその 神様の働きに触れさせて頂く事の驚きですか
師匠は
信心の驚きと喜びと表現して居られます
そう言う意味での信心の上での驚きは
やっぱり沢山頂いて行くのが良いと思いますね
今朝は 神様との絆
神との絆と頂きました
そしてまた暫くして その神様との絆を深める
強めるにはどうしたら良いのだろうかと思って居りましたら
信心とは神の大恩が分かる事と頂きました
信心をさせて頂くと言う事はどう言う事なのかと
勿論心を磨くと言う事でも有りましょう
そしてまた困った事の中に神様のおかげを頂いて行く
と言う事でも有りましょう
昨日はそれこそ英語の表現で言えば サイレントサポートですか
いわゆる無言の援助と言うのでしょうかねぇ
陰で人を救い助けよと言われる様な
その神様が表には現れられないけれども
神様が陰で助けて下さる 実際神様がそれこそ
私が助けた とは神様は仰らないないけれども
陰で助けて下さって居られる訳ですね
その神様が陰で助かって いや失礼
神様が陰で助けて下さって居られる
その事に気付かせて頂かねばならないと
いわゆる神の大恩を悟る 分かると言うのでしょうか
私どもが気付かない所で神様が助けて下さっていると言う事
その今まで気付かなかった
神様の御働きを頂いている
その何と言いますかねぇ 神様の御働きだとは思わなかった所に
実は神様の御働きがあっておった
と言うその大恩を感じる
と言う事でも有りましょうし
或いはそれこそ
今まで難儀と思うて居ったけれども
その難儀を通して神様が
私どもの心を育てて下さっているのだと言う事が分からせて頂いた
そこに神の大恩を感じる
と言う事も有ると思いますねぇ
その一口で神の大恩と申しましても
様々な状況に応じて様々な神様の御恩恵があっておると言う事
その事を実感として感じさせて頂く
ですからこれが本で読んで
これが大恩だよと これが神様の御恩だよと分かっただけでは
本当に大恩を実感してるとは言えませんから
その分かるだけではなく実感として神の大恩を感じる
そう言う事の積み重ねの中に
神様との絆が愈々強く深く成って行くのではないでしょうかねぇ
信心とは結局 神との絆が強く深く成る事であり
その為には私どもが神様の大恩が分からねばならないと
信心とは神の大恩が分かることだ
とも言えるのではないでしょうかね
神様の恩を感じないと言う事が有りますね
恩を受けて居りながら恩を感じない
本当は恩であるのに難儀と思うておる
と言う様な事も有りましょうね
その様々なシチュエーションと言うのでしょうかねぇ
そう言うものが有りましょうけれども
一切の事柄の中に神様の恩と言うもの
大恩と言うものを実感として感じる様になる
それが信心の稽古であり
またその神の大恩を感じる所に愈々神様との絆が強く深く成って行く
それが信心だと
信心の稽古だと言う事になりますね
どうでも神の大恩が分かる様な信心を そして
神様との絆が愈々強く深く成る様な信心をさせて頂きたいものですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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