今日も和賀心学 (2021-11-13)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、大きな心に大きなおかげ、豊かな心に豊かなおかげと御教え下さる。今までは大きなおかげが欲しいから大きな心に成ろうとして来た。今朝頂くのは、助かる、その為には大きな心に成らなければならないと。自他共の助かりの為に大きな心を豊かな心を育てて行かなければならないと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 107頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
神信心のなき人は
親に孝のなきも人の道を知らぬも同じことぞや
天地の大霊に対する小天地的小分霊である私共人間が
天地との関係を知れば知るほど
その道理にもとづく生き方をせずにはおれぬ
それを教祖は親神と氏子と説かれた
いわば人間は神の真子であり愛子である
私共がその心になって
子が親に対する思いをもって向かえば
そこから なるほど親神様だなあ
というみかげの実感が限りなく広がって行く
信心はそこがわかり
ここを進めてゆくのがお道の信心である
世の中の 難儀のもとは 人々の
親神の心に 添わぬからなり
難儀の元 その難儀の元は 神様の心に添わないからだ
添おうとしないからだと言う事ですね
それが確かに一つの難儀の原因でも有りましょうね
私利私欲我情我欲と言うものが難儀の原因になる訳ですけれども
結局それは神様の御心に添う事を邪魔をする心
と言うのでしょうかねぇ
我情我欲が有ったのでは
神様が右に行った方が良いよ 左に行った方が良いよと仰るのに
我情我欲でそれを背く様な生き方になる
と言うのでしょうかねぇ
今日はその難儀の元のもう一つを教えて頂いた様に思います
それは師匠大坪総一郎師が
大きな心に大きなおかげ
豊かな心に豊かなおかげと教えて下さいます
ですから今までは私は
大きなおかげを頂きたい だから大きな心になろう
豊かなおかげが頂きたい だから豊かな心になろう
と言う様な取り組みと言うのでしょうかね
そこに主眼が置かれていた様に思います
言わば大きなおかげが頂きたい 豊かなおかげが頂きたい
だから大きな心になろう 豊かな心になろうと言うのですね
それはそれで良いと思うのですけれども
今朝頂きますのは また別の角度から
どう言う事かと言うと
私どもが助かる 或いは勿論私どもばかりではない人様も助かり
その助かりの邪魔になる心 それは私どもの心が小さいからだと
心が貧弱だからだと 心が貧しいから その助かりから離れている
遠ざかってしまうと言うのでしょうかね
結局自分が助かる その為には自分の心が大きくなる以外ないのだと
また人が助かる為にも心は大きくならなければならない
助かる事の為に 大きな心を頂くのだ
助かる事の為に 豊かな心を頂こうとするのだと
私どもの心が小さいから 心が貧しいから
だからその助かりが得られない 難儀をしていると言うのですね
助かる為に大きな心になろう 豊かな心になろう
それは自らの助かりばかりではない
人様の助かる事の為にも
大きな心 豊かな心になろうと言うのですね
それに少し繋がるかもしれませんけれども
よく教祖様の御教えに人の不行状を見て 我が不行状になる事ですか
何かそう言う御教えが有りますね
私は今までこれを 人が何かを悪い事をしている
そしたら自分もつられてその悪い事をする
例えば 赤信号皆で渡れば怖くないと言われますね
ですから皆が赤信号で渡っている だからまあいいや私も一緒に渡ろう
と皆の不行状につられてと言うのか
一緒になってこちらもその不行状をしてしまう
そう言う事だと思っていたのですね
勿論そう言う事もあるかもしれません
人の不行状を見て 我が身の不行状になる事と
今朝頂きますのは もう一つ
人の不行状を見る
そうするとついつい咎めると言うのか 責めてしまいますね
人が赤信号で渡っている あの人ばっかりは赤信号で渡って
青になるまで待てば良いのに
あんな事をするから危険な目に遭う
横から来た車にはねられたりしてしまう事も有る訳ですね
ですから人の不行状を見て
その人の不行状を責める心が私どもの中に起きて来る
これが我が身に不行状を起こすと言うのでしょうかね
人の不行状を見て その不行状を責める心が起こる
それが我が身の不行状となると言う事なのですね
それはやっぱり私どもの心が小さいからです 了見が狭いからですね
ついつい人が赤信号で渡っている
それを責めてしまう
あんな事をしちゃいけないとか
も少し待てば良いのにとか思ってしまう
これは結局私どもの心が小さいからだと
これは自分自身の助かりになりませんね
人を責める様な心では助かっている心とは言えません
もっと大きな豊かな心になる その不行状をしている人が
しないようになる様に祈らせて頂くと言うのでしょうかねぇ
結局人の不行状を見て こちらの心の中にそれを許せない
責める心が起こってしまう
そこにもう私どもの助かりから遠ざかってしまう心を
持ってしまう訳ですね
何か六根の清浄のお祓いの中に確か有りましたねぇ
我が目に不浄を見ても 心に不浄を感じずと言った様な
そう言う心が必要だと言う事ですね
為には私どもの心が より大きな心にならなければ
より豊かな心にならなければ ついつい人を責めてしまいます
人を責めたのでは私の助かりが有りません
また責められた人も助かりませんね
人が助かる その為に
より大きな心になろう
それこそ自分が助かる その為に
こんな小さな心では自らの助かりを得る事は出来ない
どうでも自らの助かりの為にも
人様の助かりの為にも
より大きな心になろう
より豊かな心になろうと言う精進が大切だと言う事ですね
勿論そこに大きなおかげが
付いて来るのかもしれませんけれども
おかげを目的にしての大きな心から
我が身の助かり 人の助かりの為に大きな心を身に着けようとする
そういう取り組みが要ると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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