2023年4月9日日曜日

合楽理念は人々に一切神愛を悟らしめる為の教えである (2023-04-09)

 今日も和賀心学 (2023-04-09)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の御教え、合楽理念の神髄は一切神愛である。不壊の和賀心は一切神愛を悟らずしては得られない。では合楽理念は一切神愛を説く為の理念か、いや違うそうではない。合楽理念は人々に一切神愛を悟らしめる為の教えである。分かる分からないに関わらず一切神愛は常にそこに横たわって居る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 170頁)


ビデオ: https://youtu.be/esrO3b1XqlY

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/04-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-04-09.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




出産の時よかり物によかるより

神に心を任せよかれよ




「より良い有難いおかげに

あずかることの出来ることの為に」




日頃の信心により頂いており分かって居るようでも、

いよいよ自分の事になると案外わかっていないことに気付くものです




出産だけのことではありません、すべての事柄の中に神を信じ、

神にゆだねておる心の度合いがよくわかります




神さま以外の「よかり物」を一つ一つ心の中からとりのぞき、

よりよい有難いおかげにあずかりたいものであります




より良い、有難いおかげの究極、

と言うのでしょうかね、




それはやはり、一切が神愛と悟る事だと、

思いますね、




今朝は、師匠大坪総一郎師の御教え、

いわゆる合楽理念の神髄、




それは、一切が神愛と悟る事だ、

と教えて頂いたように思います、




私どもが、悟る、悟らずに関わらず、

言わば真実と言うものが有るとすれば、




それは、一切神愛、と言う真実が

有るわけですね、




ところがそれが、私どもがそれを意識する、

意識しないとに関わらず、




分かる、分からないに関わらず、

一切が神愛であるわけです、




その言わば合楽理念の目的と言うのでしょうか、

それは、私どもに一切神愛を悟らしめる為にある、




とも言えるのかもしれませんね、

言わば合楽念で説かれる、師匠が説かれる一切が神愛、




その一切が神愛と説かれるその事実と言うのか、

真実と言うのか、そこに値打ちが有るわけではないのですね、




それは、一切が神愛なのですから、




私どもが理解しようが、理解しまいが、

一切が神愛と言う事には変わりは無いわけです、




大切な事は、私どもが、自らの信心と言うのか、

自らの心の中に、一切が神愛だなと悟ると言う事、




それが大切だと言う事ですね、

言わばあの、ヘレンケラーのお話が有りますね、




その、あれは、どう言う経緯でそうなったのかは、

よく分かりませんけれども、




そのサリバン先生ですか、が教えて下さる、

例えば、水と言うものを教えて下さる、




それが、あぁこれが水なんだ、

そのサリバン先生が教えて下さる事が、意味が理解出来た、




やっと繰り返し繰り返しの、それこそ稽古の中で、

何を言ってるのかが分かったわけですね、




これを水だと示して居られるのだと、




そのヘレンケラーが、分かろうが、分かるまいが、

水は水なわけです、それが水だと分かった、




悟ったと言うわけですね、

そこに値打ちが有るわけです、




私どもが、分かろうが、分かるまいが、

一切が神愛は、一切が神愛、




紛れもなく、そこに横たわって居るわけです、

大切な事は、それは私どもが、




それこそヘレンケラーが水だと悟ったように、

私どもが、一切が神愛だ、と悟ると言う事が大切な事なのですね、




そしてその、悟りへの道を示すもの、

それが合楽理念である、と言う事になりますね、




そしてその一切が神愛と悟らなければ、実際真実の意味においての、

和らぎ賀ぶ和賀心と言うものは、頂けませんね、




我情我欲を放さなければ、

勿論頂けれるものでも有りませんね、




自分の願い事が叶わなかったら、

それは神愛ではない、と言う事にしてしまいますからね、




先ず、私どもの願いの焦点と言うものが、

例えば、お金持ちになる事であったり、




その身欲、身勝手が満たされる事であったり、

有名になる事であったり、




いわゆる形の上での繁盛であったり、と言うそこにおいてある間は、

一切が神愛とは、悟れませんね、




一切が神愛を悟る為には、私どもの目指しと言うものが、

自らの心を磨くと言う事、心の成長、言わば魂を磨くと言う事、




そこに焦点が変えられなければ、

一切が神愛と言う悟りへ、至る事は出来ませんね、




どうでも先ずは私どもの願い、例えば、

この世に生を受けたと言う、その生きて居る目指し、と言うものが、




美味しいものを食べたり、美味しいものを飲んだり、

綺麗な洋服ですか、を着たり、言わば楽な生活をしたり、




豪華な生活と言うのでしょうかね、そう言ういわゆる形の上の

豪華絢爛な生活と言うのでしょうかね、




そう言う所の繁盛に、何と言いましょうか、

それを良しとする、そこを目指す、と言う様な心の上には、




一切神愛と言うものは頂けない、一切神愛を悟る為には、

まず私どもが、私どもの生かされて居ると言う、




その目指しが、自らの心を育てる事にある、

とそのそこに焦点が変えられなければ、




一切神愛と言うものは、

いつまで経っても頂けませんね、




合楽理念の神髄は、

一切神愛を悟らしめる為の御教えだと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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