2023年4月3日月曜日

個人的なおかげが多くの人のおかげとなる様なおかげを頂こう (2023-04-03)

 今日も和賀心学 (2023-04-03)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


教祖様の御教えに、わが身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ、とある。我が身におかげを受ける事が、他の人々がおかげを受ける事に繋がる様なおかげを受ける私どもでありたい。この度どこででも全文検索ができ、初代御理解研修が聴けるようになった。個人的なおかげが多くの人のおかげとなる信心。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 332頁)


ビデオ: https://youtu.be/_GjkkR4YK5g

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/04-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-04-03.mp3


合掌

中原博信

-------------------------------------------------------


御理解 第46節




痛いのが治ったのでありがたいのではない

いつもまめながありがたいのぞ




目先目先の信心から、

あの世此の世を通して通用する信心を頂けと言うことである




くノ一会の伊藤さん、

こちらへ参拝の道中、しみじみと思うたことは、




合楽にご縁を受けたおかげで、

あの世まで持ってゆける信心をうけることが出来る




と思うて頭をあげると、

前方を「萬代」と書いた車が走っていた




いよいよ感動したというのである

魂の世界を信じなければ真の信心は出来ぬ




私どもが心に思う事、その心に思う事を、

に裏付けて下さる、と言うのでしょうかね、




相槌を打って下さる、と言うのでしょうかね、

呼応して下さる、とでも言うのでしょうか、




その私どもの心に思う事、その考える事、

に応じるかの様に、神様が、成行きの中で手応えを下さる、




この今日のミニ御理解にも有ります、

伊藤さん、そう思うたら、萬代と言う車が目の前を走っていたと、




正に、そこに神様の相槌と

言うのでしょうかね、




そうだよと、言われる様な、

神様の御心を感じさせて頂く出来事ですね、




私どもの心に感じる事、

それが神様が感じさせて下さる事、




と思えるように、頂けれるようになったら、

有難い事だと思いますね、




今朝は、教祖様の御教えに有ります、

我が身の上におかげを受けて、後に人を助けてやれ、




と言うこの御教えですね、

その我が身の上におかげを受けて、後に人を助けてやれと、




この事の意味合いの一つを

感じさせて頂いたように思うのですが、




ここ数日、以前にも申しております、

ウェブサイトから、師匠の御理解等の検索が出来るように、




窓を設置させて頂いた、

そしてこの度は新たに師匠の研修ですね、




研修の御理解研修のデータ、それを、

まだまだ整理は未整理ですけれども、




52年の分が出来ただけで、後は 54年の半ば位までは聞いて、

日付を特定してはおりますけれども、




そのデータとしてはまだ未整理ですが、

それらを纏めて、スマホで聞けるようにと、




クラウドに置かせて頂きました、

ですから後は、そのリンク情報とパスワードさえ有れば、




世界中のどこででも、

師匠の御理解研修にアクセスする事が出来るわけですけれども、




そう言うものを設置させて頂き、

改めて思うのですね、




これは最初から、皆さんに聞いて頂きたいとか、

皆さんに検索が便利に出来るように、




と思うて取り組んだ事では、正直言って、ないのですね、

ただ、自分に都合が良いように、




自分がどこででも研修が頂けれるように、

あるいは、どこででも検索が出来るように、




と言うある意味、自分に使い勝手の良いように、

と言うのが、始まりでしたね、




ところがその、私が、どこででも検索をしたいから、

私が、どこででも師匠の研修を頂きたいから、




と言うのが出発点であったわけですけれども、

それから、それが出来上がってみると、




これは、私が聞けると言う事は、

私が検索が出来ると言う事は、




誰でもが利用出来る、

と言う事に気付かせて頂いたわけですね、




で、結局は私のみならず、誰でもがその気になれば、

検索が出来る、研修のお話を頂けれる、




と言う状態になって居るわけですけれども、

その最初の取っかかりは、




私がおかげを頂きたい、私がおかげを頂く為に、

と言う事が始まりであったわけです、




それが、いつの間にか、誰でもがおかげを頂けれるように、

その気になりさえすれば、誰でもがおかげが頂けれる、




と言う事になって居る事に、

気付かせて頂いたわけですね、




つまり、私がおかげを頂くと言う事が、

世界中の誰でもがおかげを頂く、と言う事に繋がるのだと、




言う事ですね、




ですからこの、教祖様の、我が身の上におかげを受けてと、

先ずは、我が身の上におかげを受けてと、




その我が身の上におかげを受けたならば、

後々、その世界中の人々、誰でもがおかげを受けるようになる、




と言う事ですね、




これは、私がおかげを頂くと言う事は、

世の人々が、多くの人がおかげを頂く事になるのだと、




繋がるのだと、言う感触ですね、

と言う事なのですね、




ですからこれは、私がおかげを頂くと言う事は、

私一人がおかげを頂くと言う事ではない、




私がおかげを頂けば、世界中の誰でもが、

その気になればおかげが頂けれるようになる、




と言う事ですから、

これは先ずは、私がおかげを頂かねばならないなと、




そうすれば、多くの人達がおかげを頂けれるようになる、

と言う事に繋がるわけですね、




こうなれば、有難いなと、思いますね、

だって、その自分がおかげを頂く事に専念すれば、




そしてそれを自分がおかげを頂けば、

世の人々が、誰でもがおかげを頂けれるようになるわけですから、




こんなに有難い事は有りませんね、

これが、教祖様の御教えの、




我が身の上におかげを受けて、後に人を助けてやれ、

と言われる、その意味合いの一つでもあろうかと、




今朝は思わせられております、

ですから先ず、自分自身がおかげを頂くと言う事、




そのおかげを頂くと言う事が、そのおかげを頂いた暁には

私自身がおかげだと言う事に止まらず、




世の多くの人々が、その気になれば、

おかげを頂かれる事にも繋がる、と言う事なのですね、




どうでも、そう言うおかげを

頂いて行きたいと思いますね、




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿